そんな愛国心は役に立たない
確かにニッポンはいま、おかしなことになっています。
誰もが自由を振り回す。自由を振り回すくせに、その責任はとらない。他人の所為にする。
総理大臣までがそんな国になったニッポン。
何処に行って何をしようが自由。それを非難されると、非難するヤツが悪い、とくる。
金儲けの何処が悪いのか? 悪びれることなく堂々とノタマウ犯罪者。それに明確に反論しない、できないエライさん。
金儲けがよくないのは、自分のためにすることだから。自分のためだけにすることはよくないこと。なぜなら自分はひとりで生きているのではないから。誰もが自分勝手に振舞うと、世の中バラバラになる。
いくらお金を持っていたって、他の人がいなきゃ何の意味もない。他人がいるから、モノやサービスを提供してもらえる。まずおカネがあるからではない。
おカネは便利だ。おカネのお陰で社会が広くつながる。おカネに信用があるから、見ず知らずの人とも取引が出来る。だから社会は豊かになった。
でも反面、おカネの信用だけで世の中が回るって、大勢の人たちが錯覚してしまった。先ずおカネだ、と。違うでしょう。おカネがなかったって世の中回りますよ。ただ回り方が小さくなるだけ。
おカネのお陰でみんなバラバラになってしまったニッポン。
バラバラになってしまったもんで、自分勝手に振舞うことが何故悪いことなのかが見えなくなったニッポン。
そんなニッポンに、危機感を持つ人。何とかみんなをまとめなければ、と思う人。
この人たちは純粋だと思う。その心意気やヨシ。
んでもって、愛国心。
愛国心で、ニッポンをまとめよう。
ん? ちょっと待て。
愛国心はいい。ニッポンの国に生まれ、自然に育った者なら自然に持つであろう感情。
自然に育ったなら、ね。
でも愛国心は教えると自然に育たない。
教えるってことが、そもそもからして不自然。
自然に育つものを教えることなんてできません。自然に育つものを矯正しようとすると、歪んでかえって弱くなる。いざと云うときに役に立たない。
自然に育つものをよく育てるには、環境を整えてやることが一番。
明治時代のニッポンが愛国心に溢れる強い国だったのは、愛国心が自然に育っていたから。
それに調子に乗って、もっともっと強くしてやろうと愛国心をどんどん大きく育てようとした。
で、ポッキリと折れた。折れる直前の最後の輝きが特攻隊。
不自然に肥大した愛国心は消えてなくなり、その空白におカネが侵入してきた。でもってニッポンはバラバラ。
なんとかしなければ。で、また愛国心。
そんな愛国心は役に立たないって。今度は大きく育つ前にポッキリ逝く。
もう既に、ウヨだのサヨだのって、愛国心を巡ってニッポンはバラバラ。
愛国心を育てたいのなら、環境を整えましょう。
人と人とがつながりを実感できるような環境。
そんな環境を整えられたら、自然に健全な愛国心は育ちます。
バラバラになったニッポンのみんなの心をまとめられれば。
まとめるために愛国心を使おうなんて、本末転倒。上下逆さま。天地無用。
バラバラになってしまったものを、それも好いものだけを一挙にまとめるなんて、そんな魔法はありません。ゴミなら掃除機でひとまとめに出来るかもしれませんが。
好いものは丹念にひとつひとつ取り上げ、繋いでいくしかない。
時間はかかるでしょう。でもそれしかない。
手間のかかる作業ですけど、そんな過程のなかでしか健全な愛国心は育ちません。
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