《鳥の歌》

本日6月1日は、鮎の解禁日である。今日はとっても良い天気で、我われのように山で仕事をする者にとっては仕事日和なんだけど、今日はお休み。休みたいと希望する者が多くて、仕事にならないから。私は鮎釣りはしないので(もったいないし、したくないわけではないのだけど、なんとなく。それに鮎は、自分で釣らなくてまわってくるし)、今日は午前中からPCに向かっていられるというわけ。
今年は天候が(今年も?)不順で、特に水温が上がらなかったみたいなので、鮎の発育はよくないだろうという。それに今日は鮎つり愛好家が待ち望んでいた日なので、遠くからも釣り客がきて、川は賑わう。鮎を釣るという目的からすれば避けたほうが好ましい日なのだけど、それでも仕事を休んでまで行きたい。まあ、一種のお祭りなんだな。
それにしても「鮎釣りに行きたい」で休めてしまう、樵(きこり)という仕事のいい加減さは何だろう。このいい加減さは宮仕え諸氏には羨ましかろう。ただ多くの樵は収入もいい加減なこの仕事より、安定した収入が約束される宮仕えの方が「良い仕事」だと考えている(私は違うが)。
前置きはこれくらいにして、本題。

きっかけ、きっかけ、きっかけ

先の5月13日に、和歌山市和歌山県民文化会館澤地久枝さんによる講演会があった。その中で澤地さんは、愛国心についてカザルスを引き合いに出したお話を少しなされていた。私はクラシック音楽が好きで、バッハも好きで、そうなると自然に視野に入ってくるチェロの巨人、カザルス。カザルスは素晴らしい音楽家というだけではなく反戦運動家という側面も持っていて、そのことはカザルスを知る者にとっては常識に属することなのだけど、澤地さんのお話がきっかけに、一緒に講演を聞きに行った仲間にその「常識」と音楽を紹介した。その音楽が《鳥の歌》。カザルスの故郷、スペイン・カタルーニャ地方の民謡でカザルスの愛奏曲。
それやこれやがきっかけで、本日のエントリーは《鳥の歌》。この音楽を題材に愛国心について考えてみようという次第。

1971年のニューヨーク国連本部での演奏会

1971年といえば、私はもう既に生まれてはいたがまだ物心がつく前のことで、全世界に放映されたというカザルスの国連本部での演奏会は、当然憶えがない。というわけで、その演奏会の様子を記した本(チェリスト井上頼豊氏の『回想のカザルス』(新日本新書))からの引用でもって紹介させていただく。

……95歳直前の1971年10月24日が、カザルス最後の国際舞台になった「国連デー」記念コンサートである。いまだに語り草になっているこの公演は、豪華な出演者への期待もあり、国連総会参加の各国代表とその家族たちで、大会議場は超満員だった。
 この日のためにカザルスが作曲したオーケストラと合唱のための《国際連合への賛歌》が初演され、ウ・タント事務総長がカザルスに国連平和メダルを贈った。つづいてスターンとシュナイダーによるバッハ《二つのヴァイオリンのための協奏曲》や、ホルショフスキーゼルキン、イストミン協演のバッハ《三台のピアノのための協奏曲》などのあと、もう一度《国連賛歌》が演奏されて、プログラムは終った。指揮台をおりたカザルスは、しずかに客席に話しかけた。
 「私はもう十四年もチェロの公開演奏をしていませんが、今日は弾きたくなりました」
 運ばれてきた愛用のチェロを手にとって、彼はいう。
「これから短いカタルーニャの民謡《鳥の歌》を弾きます。私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んでいるのです」
 彼は右手を高く上げて、鳥が飛ぶように動かしながら、ピース、ピース!とくり返した。
「この曲はバッハやべートーヴェンや、すべての偉大な音楽家が愛したであろう音楽です。この曲は、私の故郷カタルーニヤの魂なのです」
 静まり返った会場に流れた《鳥の歌》。その感動をことばで表現するのはむずかしい。強いていえば、巨匠の人生と思想がこの短い曲に凝縮されて、聴くものの心をゆさぶった、ということだろうか。全聴衆と演奏者が、そして世界に放映された録画に接した人たちが、同じように涙を流したのだった。

録画されたというから、このときの記録は残っているはず。ウィキペディア「パブロ・カザルス」の欄にリンクされているのがそのときの「鳥の歌」の録音ではないかと思うのだが、確実なことはわからない(リンクは コチラからもどうぞ)。

魂の打点

先の引用にもあるとおり、カザルスはこの音楽を平和へのメッセージとして演奏した。カザルスの演奏を聴く者は、音楽に溢れる望郷の思いに胸を締めつけられながら、素直にこれを平和へのメッセージとして受け取る。この音楽においては、望郷の念はそのまま平和への思いとつながる。
 
ここで少し考えてみたい。故郷への思いが、いつでもどこでも、平和への思いに連なるとは限らない。むしろその逆のケースが多い。私たちが今直面している大問題の一つ、教育基本法の改正においても愛国心が大きく取り上げられている。政府の提出した改正案には「我が国と郷土を愛する」という文言が盛り込まれているが、ここには「国の統治機構」は含まれないことが確認されている。これならば一見、何の問題もなさそうなのだけど、どうにも不安が拭いきれない。
少し前に男たちの大和という映画が話題になった。あそこには、「守るべきもの」のために戦う男たちの姿が描かれていた。映画のなかでは「守るべきもの」が家族であったり恋人であったりと、具体的に描かれていたけれど、教育基本法改正法案に謳われる「我が国と郷土」や「伝統」が「守るべきもの」とされるのだろう。私はあの映画を反戦映画と受け取ったけれど、反対に受け取った者もいよう。郷土(そこで生活するものも含む)への思いとは、一面で戦争への心構えになりかねない面を持つ。
 
しかるにカザルスの《鳥の歌》である。具体的な歌詞がないこの音楽が平和を志向したものだと感じられるのは、これが「平和へのメッセージである」という意識が先にあるからだろうか? 聴く状況によっては、この音楽も「守るべきもの」のために戦う心構えを涵養する音楽となりえるか?
このことを疑問に思い、自分にいろいろと問い合わせてみた*1
得られる答えは、「この音楽では奮い立たない」。守るべきもののための戦いのさなかでも、この音楽を聴けばきっと「里心がつく」。もしも海外へ戦争に出かけているのなら、争いなんかやめて自分の故郷に帰ろ、きっとそう思うに違いない。
もちろん、こんなことは確信をもって断言できるものではない。そのときになってみなければわからないだろう。わからないけども、それでもやっぱり、奮い立てないだろうと言いたい。
 
これは、なぜなのか? そんな疑問を持ちながら、ネットをサーフィンする中で出会ったのが「魂の打点」という言葉だった。

十界

この言葉があったのは有名な松岡正剛の千夜千冊』第334夜

 のちに五木寛之がカザルスの演奏ぶりについて話してくれたことがある。五木さんはしきりに「魂」という言葉をつかった。「凍えるような魂というものがあるじゃないですか。それが弓の一降ろしで洩れてくるんですね。じっとしていられなかったなあ」。これを聞いて、うらやましいよりも、憎らしかった。
 たしかにカザルスは、どんな演奏家よりも魂の打点が高いところを基準に弾きはじめている。志しが高いといえばそれまでだが、それがいよいよというときに一挙に洩れはじめるのである。たしかにそれはたまらないだろう。凍える魂から雫が垂れてくるわけなのだから。


ここでは「魂の打点」という言葉は、カザルスの演奏全般を形容するものとして用いられているが、当然、《鳥の歌》も、高い魂の打点からつむぎ出されてきたものだ。魂の高いところから出てくる「望郷の念」は平和につながる。そう思った。
 
またしても脈絡なく話は飛ぶが、仏教の用語で十界(じっかい)という言葉がある。人間の心の全ての境地を十種に分類したものだということなのだが、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界の六道(りくどう)*2と、涅槃とされる声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の4つの世界、合わせて十界。地獄から仏へ向かって、位が高くなっていくとされる。
自分の生まれた郷土への愛着は、人として当然のものだ。いうなれば人間界である。人として当然の思いも、悪く用いられると修羅へ堕ちる。戦争になるのである。
魂の高い打点とは、菩薩か仏の境地をいうのであろうか。そちらを志向する者から発せられる「望郷の念」は、これは人のものとはいいながら、平和へと導くものとなる。

しかし、カザルスは誤った

さて、ここまでは随分とノーテンキなことを書いてきたが、ここで一転、シビアなことを書かねばならない。
 
カザルスの《鳥の歌》には、もうひとつ有名な記録がある。国連本部での演奏を遡ること10年、1961年11月にホワイトハウスで行われたもので、これも「伝説」として語り継がれている。このときの記録はCDとしても発売されている。鳥の歌~ホワイトハウス・コンサート
時のアメリカ大統領は、この年の1月に就任したばかりのケネディホワイトハウスで奏でられた《鳥の歌》は、ケネディをはじめ、アメリカの高官たちに感銘を与えたはずだった。
ところが。歴史はカザルスが望んだのとは、まったく逆の方向へ動く。1961年といえば「ドミノ理論」を論拠にアメリカがベトナムへ軍事介入を始めた年だ。ホワイトハウスで演奏会が行われた11月に、アメリカは南ベトナムにヘリコプター部隊と軍事顧問を派遣している。これ以降、インドシナ半島での紛争は激化していく。カザルスの《鳥の歌》は結局、歴史を動かすことは出来なかった。
 
この事実をもってして、芸術は世の中を動かすことが出来ないと結論付けるのはたやすい。いや、実際に芸術では世の中は動かないだろう。「芸術」であるならば。
偉そうなことをいってしまうが、カザルスは勘違いをしていたのではなかろうか。彼は芸術家であった。芸術とは高みを目指すものである。ある意味、ピラミッド型なのである。彼は欧米社会のピラミッドの頂上部に住まい、そこを活動の場とした。彼は第二次世界大戦後もスペインに居残ったファシズムフランコ独裁政権への抗議として、公開の場でチェロの演奏をしなくなった。そのことが「武器」になると考えたのだろう。音楽においてはあれほどの高みに達していながら、反戦運動家としては彼の音楽ほどには高みに達していなかったと言わざるをえないのではないだろうか。
カザルスが《鳥の歌》で達した境地を菩薩・仏の境地とするなら、それをピラミッドの頂点に向けて「武器」として使用するべきではなかった。そもそも、菩薩・仏が武器になどなるものではない。結局のところカザルスは「芸術」という言葉が纏う、限定的というかエリート的なところから脱することが出来なかった。菩薩や仏はそういう限定を捨てて、衆生の中に入っていくものだ。カザルスの音楽は衆生のなかでこそ、その力を発揮できるものではなかったのだろうか。
 

あとがき

いったん放り出したブログを再開させて4ヶ月ほど、そろそろ思考回路が焼き切れつつあるのか、どうも最後には“飛んで”しまう。これから夏に向かって気温が高くなってくることだし、ますます焼き切れてしまう危険が高くなる。ちょっとここらで一休み、なんて思ってみたりもするのだけど...。けど、せっかく出来たお仲間たちと交流できなくなるのは、寂しいかな。
 
逆TB
華氏451度 「コミュニケーションのルール(ブログ、そしてその他の場でも)」
晴耕雨読 「非核三原則?」
晴耕雨読  「核武装に向かう日本の歴史」
とりあえず 「自然と人間6月号」
BLOG BLUES 「どーこかでェ だーれかがァ」
とくらBlog 「愛国心ねぇ。こんな態度で良けりゃ、毎日唄っちゃうよ!」
喜八ログ 「愛国心」
http://kihachin.net/klog/archives/2006/06/kyoubou15.html:title=喜八ログ 「共謀罪15」]
アルバイシンの丘 「国会議員基本法と愛民心」
瀬戸智子の枕草子 「さとうきび畑」

*1:こういうことは「考え」ても仕方がない。論理的な思考で結論がもたらされる性質のものではないから。「自分に問い合わせる」という表現は、もっと相応しいものがありそうだけど、私の貧弱なボキャブラリーからはでてこない

*2:生き物は、この6つの世界を巡る。死んだ後、この6つの世界のどれかに生まれ変わるという考えが六道輪廻