「造り變える力」

芥川龍之介に『神神の微笑み』という短編がある。一部を引用。

「南無大慈大悲の泥烏須(デウス如来! 私はリスポアを船出した時から、一命はあなたに奉つて居ります。ですから、どんな難儀に遇つても、十字架の御威光を輝かせる爲には、一歩も怯まずに進んで參りました。これは勿論私一人の、能くする所ではございません。皆天地の御主、あなたの御惠でございます。が、この日本に住んでゐる内に、私はおひおひ私の使命が、どのくらい難いかを知り始めました。この國には山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも、何か不思議な力が潜んで居ります。さうしてそれが冥々の中に、私の使命を妨げて居ります。さもなければ私はこの頃のやうに、何の理由もない憂鬱の底へ、沈んでしまう筈はございますまい。ではその力とは何であるか、それは私にはわかりません。が、とにかくその力は、丁度地下の泉のやうに、この國全体へ行き渡つて居ります。」
 
そのように嘆くオルガンティノの前に、この国の霊(神)が現われる。
 
「誰だ、お前は?」
 不意を打たれたオルガンティノは、思わず其處へ立ち止まった。
「私(わたし)は、――誰でもかまいません。この國の靈の一人です。」
 老人は微笑を浮べながら、親切さうに返事をした。
「まあ、御一緒に歩きませう。私はあなたと少時の間、御話しする爲に出て夾たのです。」
 
「あなたは天主教(キリスト教)を弘めに夾てゐますね、――」
 老人は静かに話し出した。
「それも惡い事ではないかも知れません。しかし泥烏須もこの國へ夾ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」
 
「泥烏須に勝つものはない筈です。」
「ところが実際はあるのです。まあ、御聞きなさい。」
 
そういって老人は、老荘思想や仏教も結局この国では変質してしまったと述べ、泥烏須もこの国では勝てないと断言する。
これ対して、オルガンティノは、今日も侍が2,3人入信したと反論するが、
 
「それは何人でも歸依するでせう。唯歸依したと云ふ事だけならば、この國の土人は大部分悉達多(シッダールタ)の教えに歸依しています。しかし我我の力と云ふのは、破壊する力ではありません。造り變える力なのです。」

 
造り変える。これは破壊した後、新たに創造するのではない。他の国ではそうかもしれないが、日本は違う。インドではシバという神様が破壊と創造を司ると信じられているように、破壊と創造はセットなのだが、日本は破壊せずに、受け入れておいて変質させる。これが日本の「造り變える力」だ。
「造り變える力」は「融合させる力」と言い換えてもよかろう。土着のものと外来のものを融合させる。そういった力がこの国には満ちている。神父オルガンティノの苦悩は、そのことに気がつくことから始まる。。
日本の融合する力の特徴がもっともよく示しているのが、日本語という言語だ。文字表記をするのに、中国伝来の漢字と日本独自で生み出した仮名(かな)を融合させて使用する。そして現在も横文字言葉が次々と取り入れられ、日本語と外国語の融合が進んでいく。
「造り變える力」、つまり「融合力」こそ日本文化の最大の特徴である。最大の「伝統」といってもよいだろう。
 
しかし、この「伝統」はもはや失われつつあるのかもしれない。
現在、右を向いても左を向いても、目に留まるのは「破壊する力」ばかりだ。
先の「国旗国歌」についての東京地裁の判決を巡る左右の対立。どちらにもまったく取り付く島がない。かつての江戸っ子なら、きっと「無粋の極み」と言ったろう。
左はこの判決を当然だといい、右は伝統の破壊だという。私には、どちらも「破壊する力」を振り回しているだけにしかみえない。
 
「遺恨を残す」という言葉がある。日本人は伝統的に遺恨を残すことを避けようとする。だから白黒を付けることを嫌う。ことはなるべく穏便に済ませようとする。「融合力」はそんな場面でも力を発揮する。
ところが「国旗国歌」については、右も左も遺恨などお構いなしだ。どちらもわが方の主張が勝つか負けるか、関心はそれのみだ。接点を探る動き、融合を図る動きは極めて少ない。
「国旗国歌」を巡る対立の原因は、左右の遺恨でしかないのではあるまいか。左は戦前戦中の遺恨を晴らそうと、国旗国歌の掲揚・斉唱をまかりならんとした。それを今度は右が遺恨とし、「人間として当然」とばかりに強制。強制された方にまた遺恨が残り...、堂々巡りはいつまで経っても終わらない。
 
日本の国旗と定められている日の丸は、幕末・戊辰戦争の折に幕府軍が掲げたものである。勝利した官軍が掲げたのは菊花旗だ。つまり菊花旗が錦の御旗だった。にもかかわらず、なぜ負けた方の日の丸を日本を象徴する国旗として採用されたか。答えは「負けた方に遺恨を残さないため」。これが日本の伝統的なやり方である。日の丸を国旗として定めた明治維新の人たちは、現在の我々の騒動をどう見るだろうか?
 
この國の、山にも森にも、あるいは家々の並んだ町にも潜み、日本文化を支えてきた何か不思議な力、「造り變える力」「融合力」は、もはやその力を失いつつあるのかもしれない。それが日本の「伝統」を巡る論争の中で終焉を迎えるとしたら、なんと皮肉なことであろうか。