「都市と地方の共感を深める「緑の雇用」推進県連合」共同政策提言

少し前のニュースになるが、
「都市と地方の共感を深める「緑の雇用」推進県連合」共同政策提言」なるものが発表された。
 
これも理念は立派。ご立派。
緑の雇用」は、まず理念だけはご立派なのだ。中身はお粗末だけど。
“都市と地方の共感を深める”には笑ってしまった。よくこんなことが言えるもんだ。
“都市と地方の溝を深める”の間違いじゃないのか?
政策立案者の理念はともかく、現実としては現代の棄民政策にしかなっていない。
少なくとも私が見聞きする範囲では、そう。
このままでは多くの者が地方が嫌になって都会へ帰っていくことになるのではないか。
結局残るのは、もう他に行く場所が無い者だけということになりかねない。
これでは地方の活性化なんて、とてもとても、無理。
そしてカンフル剤としての「緑の雇用」がますます必要となり、都会と地方の溝をますます深くする。悪循環だ。
行政には理念ばかり唱えるのではなく、足元をじっくり見直すことをお願いしたいものだ。
頭だけ良くても、手足が頭の言うことを理解してなければなんにもならない。 
 
手足が良くないという実例を挙げておこう。
森林組合にいた頃の話だが、組合の関係者から「緑の雇用」のメンバーに呼び出しがあり、集ってみると、
県の方から「緑の雇用」の農業版というような話があり、
田んぼや畑をやろうという意欲のある人間がある程度の人数集るのなら、
そのための農地や農機具などの補助を行う用意がある、といういうような話。
もちろん農業で最初から生計を立てるのは難しいので、森林組合での仕事と掛け持ってやらなければならならず、
その辺りの折り合いをどうつけるかという問題はあるにせよ、悪い話ではないし、
またもともと農業志望で田舎にやってきて、とりあえずは林業でという人間もいるわけなので、
これはぜひともやるべし、と思い、希望者を募る根回しを始めた。
ところが、その話をした人間が「あの話は止めにしよう」と言い出し、結局話は立ち消え。
なぜ止めにしようということになったのか理由を尋ねてみると、
まずいろいろと言い訳を並べたが、詰まるところ、本人が面倒臭い、てなところらしい。ガックリ。

もうひとつ挙げると、
昨年6月に世界遺産登録になった「紀伊山地の霊場と参詣道」、
この影響で観光客がどっと増え、参詣道、つまり「熊野古道」を案内する「語り部」が急に大忙しになった。
緑の雇用」のメンバーの一人がその「語り部」になり、活躍し始めた矢先、
組合からプレッシャーがかかる。
一応、組合との雇用契約書にはアルバイトは禁止、という条項があるわけだが、
その条項を盾にとり、語り部で報酬をもらうのはアルバイトだから、
語り部を続けるなら組合は解雇だ、ときたらしい。
 
ちなみにこの契約書は労基法違反のもので、それを意識してか、
コピーを一部被雇用者に渡すのが常識だし、その契約書にもそのように謳ってあるにもかかわらず、コピーは渡さない。

そもそも県は、緑の雇用を推進する中でIターン者に「ながら所得」を推奨している。
「ながら所得」とは仕事の合間に得るちょっとした副収入、なんて意味らしいが、
そんな都合のよいものがそうそうあるわけもなく、結局はいわゆるアルバイトだ。
一方で県は推奨し、一方で「緑の雇用」の受け皿である森林組合は禁止する。なんだこりゃ。
まあ、組合側の理屈としては「仕事に支障をきたさない範囲で」ということなのだろうが、
地元の作業員なんかは、自分のところの農作業や何かで組合の都合なんかお構いなしで休む。
このあたりのルーズさは都会のサラリーマン勤めには理解し難いところだろうが、
一方でそれを黙認しておきながら、一方ではそれを認めない。
こんなのは解雇権の濫用以外のなにものでもない。
 
さらに付け加えておくと、レイオフで触れたようなこと、
つまりアンタは日雇い、仕事がないから給料はないよ、みたいなことがあるにもかかわらず、
休業補償の支給などまったくない。
基本的な給与保障が無い一方で、アルバイト禁止というのはどうにもバランスを欠いているようにしか思えないのだが。
 
こんな具合であるから、“都市と地方の溝を深める”と私がいうのも理解していただけると思う。
この調子では、「緑の雇用」なんてやったって、田舎は良くなんてならないよ。
 
またタイトルと中身が違ってしまった。