獲物

gushoukuuron2005-06-19

鹿を捕まえた。
猟師の資格を持っている人が、仕事場近くで罠を仕掛けたのにかかっていた。
発見したときにはすでに絶命していたが、まだ暖かかった。
 
早速、運んできて解体に取り掛かる。
まず腹を割いて、中の臓物を取り出す。
写真は、腹を抜かれてスリムになってしまった鹿さん。
臓物、特に肝は美味いのだが、この季節ではすぐに腐ってしまう。
解体してすぐに持って帰られればよいのだが、仕事もしなきゃいかんので不可。
仕方がないので廃棄処分したのだが、もったいない。キツネやカラスは喜んだろう。
 
このあとは丁寧に皮を剥いで、各部位に解体していく。
背骨の脇の2本の筋肉の部分――背身、ヒレともいう――を取り出す。
4本の足を解体...
 
夏鹿は脂がのっていて、一番美味しい。
それはそうだろう。夏は鹿の餌になる草木がたっぷりあるのだから。
こいつの胃袋の中も草で一杯だった。
写真の、ナイフの横の緑色のものは胃袋の内容物。誤って胃袋を斬ってしまった。これは失敗。
 
ご存知の方も多いと思うが、猟期はどの地方でも冬である。もちろん、私の住む地方でもそう。
では、この獲物を獲ったのは密漁になるのかというと、さにあらず。
有害獣駆除というお仕事が、特定の時期、年に1回か2回、猟師に対して出る。
増えすぎで畑の作物なんかに被害を及ぼす、有害な獣を退治しましょうということで、補助金が出る。
鹿の場合、尻尾を切り取って役所に持っていくと、一万円ナリのお金になるという。
これは有害駆除の期間に、ひとり1頭まで。
ちなみに、その期間内に猪はひとり1頭まで1万円、猿3頭まで3万円、だそうな。
鹿を獲った漁師さん(同時に樵さんでもあるのだが)は、この日は大もうけである。
山仕事の日当、有害駆除の補助金、鹿肉もルートがあって、かなりの値で売れるそう。
 
ところでこの写真だが、ちょっと生々し過ぎて、不快な想いをされる方もおられよう。
確かに、このように死がもろに出てしまうのは生々しい。
私もこの赤く染まっている腹の中に手を突っ込んで、まだ暖かい臓物をつかみ出したのだが、
この感触は、非常に生々しいものだった。生々しい死の感触。
ナイフで切り刻まれて、獣から肉にあっという間に変容していったのだが、これも生々しいものであった。
 
この「生々しさ」を、「不快」だと感じてしまうのは理解できる。私だって気持ちが良いと思いはしない。
だが、「不快」だから「残酷」だ、として目を背けてしまうのはどうかと思う。そんなのは単なる感傷でしかない。
スーパーで陳列されている牛肉だって豚肉だって、必ずこの「生々しい」過程を通ってきている。
ただ目に付かないというだけなのだが、「目に付かない」ことの方がよほど残酷。
哀れな姿をさらしているこの鹿くん、確かにこいつは不運だった。
たまたま足を突っ込んだところに罠があった、というだけだった。
その不運の結末がこの姿とは、あまりに残酷ではないかと思うかもしれないが、それも違うと思う。
私たちが普段口にする肉を供給してくれているものたち、運不運関係なく肉になることが定められている、
そのことの方がよほど残酷ではないだろうか。
 
漁師さんは「可哀相だと思っちゃいかんよ」と言った。美味しく頂くことが供養だと。
これを自分勝手な言い草だと思わないで欲しい。
そう言っても論理的に間違いというわけではなかろう。
だが、違う。何が違うか、上手く言えない。感性が違うというくらいにしか言えないが、違う。
このことは自然のルールであり、それはおそらく、受け入れるしかないものなのであろう。