「緑の雇用」の成果

このブログ開設以来、初めてトラックバックを頂いた。
そのブログの主も私と同じ「緑の雇用」で田舎へやってきた人のようで、しかもご近所にお住まいのよう。
実は、私としてはブログは開設してみたものの、あんまりあちこちにトラックバックを送って
議論のやり取りをする、というようなことは期待していない。
いやいや、パブリックに設定してある以上、期待がないわけではないんですよ。
実際、トラックバックがついて嬉しかったし。
ただ、テーマがマイナーなのと議論にあまりエネルギーを割きたくないな、ということ。
ネット上での議論てのは、どうも不毛な感じがして。
議論は嫌いではないのだが、やはり面と向かってやらないと無用の誤解を招きやすいというか、
文字だけの情報でやり取りするのは、どうにもスカスカした感じがして。
 
とはいうものの、見ず知らずの人とネット上でやり取りできる利便性は捨てがたい。おまけにブログは簡単だし。
そんなわけでその簡便性に着目して、まず自分の思うこと感じることを公開するのが第一。
議論は二の次、というのが私にとってのブログの使い方、と思ってます。
 
前置きはこのくらいにして、本題「緑の雇用の効用」について。
 
このことについては以前にも書いた
つまり、まずは田舎への門戸を開いてくれたということ。
その具体例の一つが、トラックバックをくれたguldeenさんであろう。
なにせいろいろとエントリをされているようで、まだguldeenさんのブログによく目を通してはいないのだが、
まずはいろいろなことを考え、発信できるひとみたい。
こういう人間は、田舎の地元住民にはまずいない。
こんなふうに書くと、お前は田舎者をバカにしているのかとお叱りを受けるかもしれないが、
それは決してそうではない。
そうではないが、事実は事実と指摘するまで。もちろん、例外はありますよ。
これにはいろいろ原因があり、そのことについての私なりの考えをまた機会を改めて述べてみたいと思うが、
ここでは田舎で生まれ育った優秀な人間は、まず田舎から出て行ってしまうとだけ述べておこう。
 
このような書き方はよくないと承知はしているが、物事を単純にするために敢えて書くと、
田舎において、緑の雇用などでやってきたIターンの人間は優秀な人材だ。
外部から入ってきた人間は、少なくとも気概だけはもともとそこに居た人たちよりも勝っているはず。
ある男は田舎暮らしを始めるにあたって「フロンティア・スピリット」という言葉を使った。
フロンティア=辺境などと、これまた良くない言葉かもしれないが、
過疎化で人口が減り徐々に衰退しつつある中山間地域は、フロンティアに退行していっていると言っても
それほど的外れなものではなかろう。
 
地元の人間がフロンティア・スピリットを地元で抱くことはまずない。
それはそうだろう。地元の人が地元の求めるのは、まず「安定」だから。
その安定が侵されつつあるので、行政なんかになんとかしろという要求は多いが、
その安定を棄てて「挑戦」とはなかなかいかないものだ。
 
緑の雇用」を発案した人も、そのなかで地域の活性化をめざすと謳っているわけだから、
このようなフロンティア・スピリットに期待を抱いているのだと思う。
その意味で、「緑の雇用」の入り口の部分はまず成功だと考えてよい。
だが、その後が良くないのだ。
 
私が地元の森林組合で働き始めて、最初にIターンの先輩に言われたのは、
「ここの組合は『知らしむべからず、拠らしむべし』だからね」
ということだった。
つまり、黙って言われたとおり働け、ということ。
『郷に入っては郷に従え』
程度のことは、これは積極的に受け入れなければと考えてはいた。
だが、いくらなんでもこれはひどいと思った。
要するに単純な肉体労働者としての役割しか期待されていなかったわけだ。
それも安い賃金で働く労働者。
「お前たちは自分の望んだ通り山で働けるようになったのだから、それ以上の文句はいうな」
というようなことすら言われたことがある。
 
もちろん、田舎のすべてがそうだと言うわけではない。
私が現在働いている会社も仕事は林業だが、「普通」の会社である。
だが田舎においては、このような勢力の力が非常に強いように感じる。
特に林業の世界はそうみたいだ。
 
このような勢力は、地域全体の活性などということよりも、自分たちの周りの「安定」にしか関心はないようだ。
いや、これはだからといって責められるべきものでもない。都会であれ田舎であれ、多くの者がそうなのだから。
しかしだからといって、このままの状態で推移すれば、
田舎の過疎化はますます進み、国や地方の財政は悪化していく中、田舎はますます衰退していく。
そうなれば田舎での生活基盤が貧弱な者、すなわち他所からやって来た者から順番に生活できなくなっていくわけだ。
 
現にこういう動きは出ているはず。
どこぞの森林組合では、研修期間が終わって国からの補助金が出なくなると、
仕事がないのでリストラ、というような話を聞く。
これでは屋根に登って梯子を外されるようなものだが、
ある一部の人たちの「安定」のためには致し方のないことなのだろう。
これでは田舎の活性化など望むべくもないし、「緑の雇用」も、結局は失敗と言わざるを得ない。
 
あれ、表題と反対になってしまった。
 
役人は早く自立を、というが地縁で固まった土地で、2年や3年で何ができるものか。
それに「自立」が出来る人は、田舎であろうが都会であろうが、自立できる。
問題はそれが出来ない人で、それゆえにこそ「緑の雇用」のような政策が必要なのに。
 
自分自身の損得勘定を考えるなら、Iターンで都会からやってきた人はさっさと引き上げる方が得策だと思う。
若い人はとくにそう。田舎で頑張ったはよいが、気がつくともうツブシが利かなくなっていた、というのでは哀れだ。
見切りをつけるなら早ければ早いほうが良い。
だが、「損得勘定」以外の何ものかで田舎へやってきたのなら
――私はそれを『心の所得』とは決して呼びたくないが――
頑張ってみるのも良かろう。
世の中にはそういう人間が必要なことも間違いないのだから。
次への種を蒔く人間――私なんかは自分のことはそう位置付けているつもりだが、これは気取った言い方だな。
結局は好きでやってるだけだったりして。
報われることをそうは期待してはいないが、少しくらいは...、と思わなくもない。