教育現場での「排除」

dr.stoneflyの戯れ言さんの「授業参観と懇談会」…いまどきの親」。私は子供はいないのだが、それでもため息がでてしまう記事だ。
dr.stoneflyさんのお子さん(小1)の学校での実話のようだ。「問題児」を排除しようとする親たち。こういう親たちがいるであろうことは、各種の報道で知ってはいた。けれど改めて「ナマの体験」に接するとため息を漏らさざるを得ない。自分の頃とは何という違いだろう。
不思議に思う。今、小学校一年生の子どもを持つ親といえば、私などとさほど年代は変わらないはず。私が小学生だった頃など、「画鋲でさす」「たたく」「ける」「水をかける」、そんなことをする「問題児」なんて山ほどいた。恥ずかしながら私の「問題児」ぶりはそんなレベルではなかった。あ、いや、盗みをしたりとか、そんなことはしませんでしたよ。
けれど、そんな「問題児」が山ほどいたとて、ひとつも問題になどならなかった。「問題児」を排除しようとしている親たちが小学生だった頃も、問題にならなかった時代のはず。ではなぜそういうこともたちが親に成長して、自分たちの子どもを「問題児」を排除することによって守ろうとするのか? ここのところがよく理解できない。
時代の空気? 確かにそうなのかもしれないが、幼い頃に培われた感覚が、そんなに簡単に変わるものか? ちょっと理解できない。
ひょっとしたら、と思うのが、排除しようとしている親たちは、子どもだった自分は「問題児」ではなかったのでは、ということだ。私は「問題児」だったので気がつかなかったのかもしれないのだが、かつて「問題児」は山ほどいたといってもどちらかといえば少数で、おとなしい「優良児」のほうがどちらかといえば多かった、かな? ちょっと、自信がない。「優良児」たちは「問題児」を疎ましく思っていたが、周りの大人たちは「問題児」を「排除」しなかった。で、自分が大人になったときに「問題児」を排除するように動いた、と、こういう理屈。
けれど、この理屈にも弱点があって、私たちの親は彼らが子どもの時分に「問題児」「優良児」であったかを問わず、親になってから「排除」などしなかった。ということは、ひょっとしたら云々以外に親が変わってしまった要因が何かあるはずだ。
さらに不思議に思うのが、「画鋲が、はさみになり、ナイフになり、最近の子どもの殺人事件のようになる」という理論。子を持つ親が、本気でこんなことを思っているのか? 摩訶不思議。では、かつて山のようにいた問題児が、今は殺人犯? すべてと言うのは極端であるにせよ、そうなる傾向が高い?
おそらくは「問題児」の方が、将来的にはほとんど問題はない。「画鋲」「たたく」「ける」「水かけ」程度のことなんて、子どもならごくごく普通。中には真性のワルもいるだろうが。
むしろ危ないのは「排除」しようとする親たちの子ども。私はそう思う。こういう親は恐らく、わが子をも「排除」している。わが子を自分の所有物のように看做し、自分の思いどうりに育てようとしているのではないか? もしそうなら、そうやって育てられた子どもの方が危ない。「よい子」だったはずが、突然キレて事件を引き起こす。取り返すのつかない事件を。
親たちは、子どもたちが引き起こす事件報道のどこを見ているのだろう? 事件を起こすのはたいてい「よい子」ではないか。
そして一番の問題は子供たちに「排除」を教え込むこと。このような教育を受けて「排除」することを当然だと思い込む子どもたちがこれからたくさん世の中に出てくると思うと...、日本に少子化が進んでいることに感謝したくなってくる。