日暮し

今日は、UTSへのコラムを仕上げなければならない。んだもんで、本当なら余計なことを書いている余力なんてないのだけど、まず、どうしてもコチラを書きたい。そうしなければコラムを書けない。そういうワガママな精神構造をもつ私である。
 
今朝、いつもの仕事場に向かうために山道を歩いていると、木立の影から幾つもの物体が「ジッ」という鳴き声を立てて飛び立つのに行き会った。この物体の正体はすぐに判明した。木の幹にたくさんの抜け殻が引っ付いていたからだ。そう、セミの抜け殻である。夜中に地中から出てきて羽化したセミが、私たちが近づいてきたのに驚いて、飛び立っていったのだろう。
今日、残念に思ったのはデジカメを持って出かけなかったことである。最近、当ブログに山でのことは書かなくなってしまったので、デジカメを持って出かけることを止めたのだった。セミの抜け殻を撮影できなかったのは残念だ。
このセミは、ヒグラシであった。今日も蒸し暑くて野外の仕事にはつらい一日だったが、ボチボチ陽が傾き始める午後3時頃、山に「カナカナカナ・・・」という涼しげな鳴き声が響き渡った。今朝、羽化していったヤツラに違いない。
 
自然の変化は、気がつきさえすれば、ダイナミックなものである。昨日までヒグラシは鳴いていなかった。いや、今朝まで鳴いていなかった。ヒグラシは朝夕鳴くので、昨日までに羽化していたなら、今朝もその鳴き声を聞いたはず。今朝は聞こえなかった。
今朝、たくさんのヒグラシが羽化した。一斉に羽化した。とても不思議な話だ。もちろん、今日以降も羽化してくるヤツはいるだろうけど、羽化が始まったのは「一斉に」という感じがとてもする。だからダイナミックに感じる。
セミは地中で7年間の幼虫時代を過ごし、成虫となってから2週間あまりでその一生を終える。今日は多くのヒグラシにとって、その一生のなかでの最大のイベントの日だったわけだが、なぜ今日だったのか? 彼らは別々の木の根に住み付いていたわけで、互いに相談して「今日、羽化しましょう」と取り決めたわけではないはずだ。なのになぜ、今日だったのか。
互いの個体が連絡を取り合ったわけではなくても、羽化するのに都合のよい今日という日の条件を、地中にいながら精密に感じ取る能力。これは一体、何なのか?
 
そのように遺伝子にプログラミングされているのだ。木から何も信号を得ているのだ。いろいろ答えはあろうし、これからもその答えは科学的に追及され、より精密なものになっていこう。だが、この答えがどれほど精密なものになろうとも、その答えをズバリ、答えることは出来ないであろう。子どもの素朴な質問の繰り返し、これはこうなんだよ、と答えると、では、これは何? とまた質問される、分かったつもりの大人にとっては、とても辛い子どもの質問。この質問にファイナル・アンサーを与えることはできまい。