『今日は死ぬのにもってこいの日』〜『4つの最後の歌』から「夕映えに」

前回のエントリで「死」について書いてみた。私の悪い癖で、しばしばこのような重苦しいことを考えたりする。そしてまた悪いことに、いったん考え出すとなかなか歯止めがかからない。そんな中で思い出したのが、この本
今日は死ぬのにもってこいの日 『今日は死ぬのにもってこいの日』
最初にこの本にであったときには、ちょっとした衝撃を覚えてた。まず、タイトルからしてショッキング。「死ぬのにもってこいの日」とは。そんな感覚、それまで想像もつかなかった。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。             Today is a very good day to die.
生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。  Every living thing is in harmony with me.
すべての声が、わたしの中で合唱している。        Every voice sings a chorus within me.
すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。 All Beauty has come to rest in my eyes.
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。   All bad thoughts have departed from me.
今日は死ぬのにもってこいの日だ。              Today is a very good day to die.
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。    My land is peaceful around me.
わたしの畑は、もう耕されることはない。           My fields have been turned for the last time.
わたしの家は、笑い声に満ちている。             My house is filled with laughter.
子どもたちは、うちに帰ってきた。               My children have come home.
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。          Yes,today is a very good day to die.

この本について思うことはいろいろあるのだが、今日はごちゃごちゃ書くのはやめ。そんな気分ではない。
 
重苦しい連想が続く。「死ぬのにもってこいの日」とはどんなだろう? 想像するのは難しいが、そんなときには芸術が力を貸してくれる。リヒャルト=シュトラウス『4つの最後の歌』から「夕映えに」
  〈視聴〉
前曲「眠りにつこうとして」の音楽が静かにフェードアウトして行った後に、突然に立ち表われる響き。本当に目の前に大きな真っ赤な夕陽が見える思いがする。陽が沈むとともに生命も沈む。ここにも自然と生命の一体感を感じる。