尊厳死が認められる社会を望む

富山県射水(いみず)市の射水市民病院で患者7人が人工呼吸器を外され、死亡した問題。このことをきっかけに「尊厳死」について私なりに考えを整理してみたい。

「死」と科学

「死」は、元来は個人の自由になるものではない。「尊厳死」を考えるならば、まずはここから出発しなければなるまい。「死」が自由でないということには二重の限定がかかっていて、それは生物学上での限定と、もうひとつは社会的な限定である。
生物学上の限定とは、とどのつまり「生あるものはいずれ死ぬ。人も例外ではない」という原則のことである。ただ、この原則も医療技術が発達した現在では多少揺らいでいて、それ以前なら疑いもなく「死亡」とされて患者を、延命措置を施すことで機械的に身体の一部の代謝機能をしばらく持続するさせることができるようになった。今回の射水の事件もこの技術が前提にあったわけだし、また「臓器移植にからむ脳死判定」の問題も延命技術があってこその問題だ。
だが「死」と科学との関係は、技術のみに限定されるわけではない。「尊厳死」を考える場合においては、むしろ「科学という思想」による影響が大きいように思う。人の身体の機能が解明されて人も一種の「機械」だという認識が広がり、修理不能の故障が発見された場合、その機械は壊れてしまうと予測されるようになった。科学が広まる以前にも人は「死期を悟る」ということはあっただろう。科学技術と思想の広まりは、人に「死期を悟る」という機縁を広めていることにもなっている。そしてこのことは、「死」の社会的な限定にも影響を与えている。

「死」はかつては環境問題であった

『姥捨て山』という昔話がある。

むかし、むかし、わがままな殿様が国を治めていました。殿様は年寄りが大嫌いでした。
ある日のことです。殿様は、家来に国中に立て札を立てるよう命じました。立て札には、こんなことが書いてありました。
「六十を過ぎた年寄りは山に捨てるべし。従わない家はみなごろし。」
誰もが、家中のものが殺されるのを恐れて、殿様の命令に従わざるをえませんでした。
さて、年老いた母親をかかえた若者がおりました。
「息子よ。私は六十です。山に捨てておくれ。」
「お母さん。そんなひどいことはできません。」
「隣の家のおばあさんも、前の家のおじいさんも、もう山に捨てられました。悩まなくてもいいですよ。」
若者は、しぶしぶ母親を背中に背負うと、山を登りました。でも母を山に置き去りにすることはできません。母親を背負って、夜こっそり家に戻りました。そして、裏の納屋に隠しました。
数日たった日のことです。殿様は、村人に灰の縄を作るよう命じました。
「お母さん。お殿様が灰の縄を作れとのことです。やってみましたが出来ません。誰もできないと、年貢が高くなります。」
「息子よ。それは簡単ですよ。教えて上げましょう。」
 
中略
 
「参った。そちは一人で三つの難題を解いたのか。」
「お殿様、実を申しますと、問題を解いたのは、私ではなく、母親です。お殿様は、年寄りを山に捨てるよう命じました。でも私は、そのような残酷なことは出来ませんでした。母を納屋に隠しました。年寄りは、体は弱くなっても、若い者より物知りです。」
殿様はしばらく考えて言いました。
「その通りだな。わしが間違っていた。もう年寄りを山に捨てるのはよそう。」
お殿様は、若い者は年寄りを大事にするべし、というお触れを国中に出しました。

このお話ではお触れを出した殿様は悪として登場し、その殿様を改心させるという人情話になっている。だが、昔の貧しかった時代では「姥捨て」は広く行われていた。それのみならず、生まれてきた赤子も「間引き」された。そうしなければ他の者が生きていけなかった。死の問題は環境問題だったのだ。
科学技術文明の力によって人が生きていくうえでの環境条件が緩やかになった現代では、そもそもお話の前提がまったく違うので『姥捨て山』の殿様は、悪人になる。けれどその時代の前提に基づくならば、この殿様が悪人だったとは限らない。
「死」が環境問題であったということは、これはそのまま社会の問題でもあったということでもある。そうであるから「殿様のお触れ」が出るのであるし、「姥捨て山」という制度が存在することなる。またかつての武士社会では「切腹」という、今日的な『尊厳死』とは逆説的な意味での『尊厳死』の制度があった。このような社会では、「死」は個人の自由という考えが許容されることはない。
「死」の自由がないということでは、西洋世界でも同じであった。あちらは一神教への信仰が由来の限定だったが、「死」が自由ではないという結論は同じであった。
環境問題への対処としての「死」の社会性の意識は現代にも引き継がれている。それは法体系をみれば明らかで、人の死は医師もしくは警察という、国から権限を委譲されたものによってしか認定されない。このルールを破ると犯罪として処罰されることになってしまう。

「死」へのもうひとつの限定

現代の社会は、生存環境の条件の緩和によって「死」の社会的な限定が揺らぎつつある。「死」が個人的なものとして許される条件が整ってきた。そこで現われてきたのが「尊厳死」という考えだ。自由が「死」にまで拡大してきたというわけだ。
では、この流れに従って「尊厳死」は認めるべきか、というと事はそう簡単ではない。「死」への自由にはもうひとつハードルがある。「人間の社会性」というハードルだ。
上で環境問題からの社会性について触れたが、こちらは人間の本性としての社会性である。人は社会によって自己確立をして人間となる。自己確立には心情がからむ。つまりは人としての心情の問題である。
家族や親しい友人、恋人などが「死」という事態に直面したとき、人はそれを認められるか? これは考えるのも辛い話で、認めねばならぬとわかっていても、そう簡単に認められるものではあるまい。これはとても微妙で難しい問題だ。
個々の心情の問題に一定の解答を提示するなどという芸当は私にはできない。私に限らず、おそらく誰にもできまい。この問題に関して、私がはっきりと主張したいのはただ一点だけ。権力がこの領域に立ち入るな、ということだけである。
いや、実はこういう考えもないではない。このような微妙な問題は誰かに一方的に決めてもらった方が楽なのではないか、と。この命題については、私はある寓話を連想する。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、大審問官の章だ。この話は長大なので引用することはしないが、話の要点をごくごく限っていうと、大審問官はキリストに向かって、愚かな大衆に高尚過ぎる理想を提示した、高尚過ぎて結局大衆を救いに導かなかったと非難する、というのがその内容だ。
権威は心情の問題にも一定の解答を与える。そこに飲み込まれてしまえば、楽である。自ら考えなくて良いし、癒しも与えてもらえる。大審問官の立場はこれだ。だが「尊厳死」の問題を見据えるということは、キリストの立場になる。権威に頼らず、個が一人「死」を見据えなければならない。「尊厳死」の考えが広がるということは「死の重み」を自ら担おうとする人たちが多くなるということではあるまいか。このことは私には、とても望ましいことのように思える。

「死への自由」から平和へ

尊厳死」の考えが広まることへ期待には、さらにもうひとつ理由がある。「死への自由」に国家・権威が立ち入れなくなるということは、これは戦争へ道を遠ざけることにつながらないか、と考えるからである。戦争には「死」はつきものだ。その「死」を国家は逆説的な「尊厳死」とする。靖国神社はかつて、そのための舞台装置であった。「自由ゆえの尊厳死」が一般に定着すれば、逆説的な尊厳死は立ち入る隙がなくなるのではないか? そういう世の中になることを期待して、「自由ゆえの尊厳死」が広く認められることを私は望む。