『男たちの大和』

今日のエントリーは映画の鑑賞記。この映画を観てから、もう既に一月以上経つ。書こうと思いながら、なかなか書けずにいたのだが...
 
男たちの大和』という題名から、最初は戦争賛美の映画だろうと勝手に決め付けていた。そんなものは観ても仕方が無いと思っていたのだが、そんな映画を観にいくきっかけになったのは、とあるブログのエントリーを読んだから。これは面白いかも、と考え直した。
それにしても、『男たちの大和』という題名は誤解を招く。ひょっとしたら、右傾化した人たちにたくさん観てもらって、“洗脳”しようという意図をもって付けられた確信犯的なネーミングかもしれないが。
そう、『男たちの大和』の中身は題名とは裏腹に反戦映画である。ストレートに反戦を訴えているわけではない。かの時代を象徴した戦艦大和、そして現代もある種の羨望の的となっている大和を舞台に、戦争のさまを描いた映画である。大和の乗組員およびその周囲の人たちが、あのどうしようもない時代の中で、それぞれ必死になって戦った(ここは“生きた”と書きたかったが、死んでしまった人もたくさんいるわけで、それでは相応しくないと思って“戦った”にした)姿が、そのまま反戦の思いを伝えている、そんな映画である。
 
映画の内容について触れてみる。あらすじの紹介は省く。
内容についてと書いたが、今一度題名に戻ると、『男たちの〜』とあるが中身の半分は『女たちの〜』である。反戦のメッセージ性という点においては、むしろ『女たち〜』の部分の方が重要であるかもしれない。全く体を表さない題名だ。
 
では、『男たち〜』の部分について。これは何といっても戦闘シーン。とても迫力ある描写である。だが、偏った描かれ方だ。戦闘シーンとは言いながら、敵はほとんど出てこない。大和に襲いかかる敵航空機が撃墜されるシーンもあるが、リアリティは無い。ここで力点が置いて描かれているのは、男たちがいかに戦い、斃れていったか、である。
男たちは懸命だ。わが身よりも、わが家族、わが故郷、わが祖国を愛し、身を捨ててもそれを敵から守り抜こうとするさまは、美しいとすら思う。そのさまが観ていて辛くなるくらいに伝わってくる。
しかし、しかしだ。その懸命さが伝わってくればくるほど、私には、愚かしいというか、滑稽というか、そういう思いが湧き上がってくるのを禁じえなかった。これは私が平和な時代に育った世代であるからだろうか?
確かにそういったところもあるかもしれないが、これはやはり、戦争には本質的にそういう部分があるからだと思う。男たちの心根がいかに善良なものといえども、大義名分を押し立てて戦いを進めていく過程のどこかにおかしなものが混じってしまうのではないだろうか。
 
対して『女たち〜』の方には、滑稽さを感じさせるような要素は微塵もない。女たちの思い、夫への、息子への、恋人への思いは、一途であればあるほど、それが真実のものとして伝わってくる。女たちは、ただただ自分の愛する人には生きていて欲しいだけなのだ。
印象に残るシーンがある。大和は沈み、日本は負けて終戦となる。生き残った主人公は故郷へ帰る前に戦友の母の所へ、彼の息子の戦死を報告に行く。「立派な戦死でした」と報告する主人公に向かって、友人の母は「おめおめと生き残ったか」と言葉を浴びせる。
生き残ることよりも死を選択しようとし、それを果たせずにいた者にとって、これは残酷な言葉だ。こんな言葉を吐く女は愚かである。だが、これが真実のものでないということはすぐにわかる。翌朝早く、一心不乱に彼女の田んぼの田植えをしている主人公の姿を見て、かの母は地面に伏して詫びる。そして「死んだらアカン」と。どちらが真実であるか。
 
多くの男たちが死んでいった。男たちは死に際して、どのように思ったのか? 死ぬまで「天皇陛下万歳」と叫べたのなら、あるいは幸せだったのかもしれない。自分の掲げた大義名分を最後まで貫き通すことができたのだから。だがもし、母のこと、妻のことを思ったとしたら? それは不幸なことだったのだろうか?
不幸であったとしたら、それは大義名分を貫けなかった弱さゆえに、ではない。大義名分に勝る真実があり、その真実が侵されてしまったからだと思う。
男たちの、守るべきものを命を賭してでも守ろうとする思いは真実である。また、女たちの愛するものに生きていて欲しいという思いも真実だ。この映画にはそのどちらも描き出されている。そして、戦争になってしまうとそれらが両立せず、互いに矛盾することになってしまうことも。
男たちの大和』には、これ以上のことは語られていない。だから戦争はやめるべき、と訴えているわけではない。そこから先は映画を観たものに委ねられる。
二つの真実を両立させるにはどうしたらよいか? その回答があればこそ、わが平和憲法は“押し付け憲法”と非難されながらも、戦後の日本国民の多くに支持されてきたのだと思う。