社民党は先祖帰り?

昨日社民党が党大会を開催し、「社会民主党宣言」を採択した。この宣言の中で現在の自衛隊を「明らかに違憲状態」と明記した。

このニュースを耳にして、とっさに思ったのが「社民党は先祖帰りした」。「社会民主党宣言」(案)に関する福島党首の記者会見(要旨)をによると、“「路線転換」というよりは、自衛隊の現状認識について見直しを行なったというのが適切”ということで、先祖帰りではないとしてはいる。だが、“自衛隊の将来的な「解消」にも言及して、「非武装の日本を目指す」”とするなら、やっぱ先祖帰りでしょう。
 
社民党の主張は理解できなくない。確かに自衛隊と米軍の一体化はますます進み、既成事実となっていっている。これを“違憲状態”というのはその通りだ。このような“違憲状態”が是か非かというのが憲法改正論議の核心だと思う。だからこそ、これ以上「普通の国」になってしまわないよう、その歯止めとなっている9条改正に反対しなければ、と考えているわけだ。
それにしても社民党はもう少し待てなかったのか? 社民党が自らの理想を主張することはいい。だが、よりにもよってこの時期に自らの理想を宣言してしまうのは、独りよがり、と看做されても仕方があるまい。これらの理想を宣言するのは、9条改正問題に決着がついてからでも遅くはなかったはずだ。むしろ、それからの方がより社民党の存在感をアピールできたのではないかと思う。
今はとにかく、9条を巡る見解の違いを乗り越えて、日本が戦争に加担していくのを阻むため、その1点でのみ歩調をそろえる時期だと思う。ところが新聞記事によると、共産党との共闘ですら否定的であるという。これでは、今は鳴りを潜めてしまっているが、自民党内にも確実に存在する護憲派と手を結ぶことなど、不可能になってしまったではないか。社民党は、現実を踏まえた上でなければ理想など“絵に描いた餅”でしかないことを分かっていないのではないか。
 
実際のところ、草の根で9条を守るべき活動をするに際して最大の障害になっているのが「レッテル」である。以前に比べれば多少雰囲気は変わっているとはいえ、「憲法」と言った途端に拒絶反応を示す人はいまだに多い。この種の「レッテル」は、まずはそれを貼る側の人間に責任があるのだが、貼られる方の側にも落ち度はある。ましてやこれは政治上のテーマだ。レッテルを貼る方の責任は問えない。この「レッテル」については旧社会党共産党の過去の責任は大きい。

社民党の今回の「宣言」は、また再び「レッテル」の問題を大きくするのではないか。社民党が純粋に平等・平和を願う人々の善意の人たちの集まりである、ということは認める。だが、もし「レッテル」が更に大きくなるようなことになれば、社民党の責任は大きいと言わざるを得ない。純なのも度を越すとバカとしか言いようがない。