...続き

昨日は暑さでやられて、PCの前に座る気がしなかった...
 
こんなことは誰にでも経験があることだと思うが、私も子供から成長するにつれて「大人」と「大人たちがつくっている社会」にでたらめを感じるようになってくる。子供の頃は、自分が子供で理解力が足りないから大人のやっていることの合理性を理解できないのだ、と素朴に信じ込んでいたのが、その理解力が向上していったにもかかわらず、いつまでたっても合理性は見えてこない。理解力が増すにつれてますますでたらめさを発見するようになる... 
そして「合理性に作り上げられている世の中」という素朴な世界観の修正を余儀なくされていったわけだ。
 
う〜ん、こんなのってどう考えても、子供から大人へ成長していく過程のごくごく一般的な体験でしかないよなぁ。なのに、なぜ多くの人が大人になってしまうと、「世の中はでたらめ」と考えていないのか、考えていないように見えるのか、つねづね不思議に思っている自分が存在する。
 
現在の自分の世界観、「世の中なんてそもそもからして、でたらめに出来上がっている」ということを表わしていると考える例を挙げてみようと思う。裁判について。
 
以下は、また後で。