「日本のこれから」

NHKでこんなタイトルの番組をやっていた。
少子化問題について取り上げるというので興味をもち、見ることにした。
今日の放送は第1部、明日第2部を放送。生番組みたい。
10時までの放送となっているが、とてもそんな時間まで起きていられないのでビデ録画する。
放送の初めの部分は「生」でも見ていた。そのなかで気になったことについて、ちょっと書いてみる。
 
「子供を生みたくても生めない社会」っていうことが話題になっていた。
社会の中でいわゆる「勝ち組」と「負け組」の格差が広がり、収入やらを考えると子供を生みたくても産めない、と。
この話は主に都会でのお話だろうが、格差という点で最近思っているのが、
都会の状況が一回りして田舎の状況と同じになってきたなと。
田舎暮らしをするようになってつくづく感じるのだが、田舎は「格差」社会である。それも格差が固定された社会だ。
年寄りはいまでも「旦那衆」なんて言葉を使うし(さすがに若者がこの言葉を使うのは聞いたことがないが)、
それがいまだに生きている社会でもある。
都会は少し前までは「自由」で「平等」な社会だったのが、
状況が変化していまや格差の固定した「不平等」な社会になりつつあり、
それゆえ「負け組」は子供が産めなくなっている、と。
 
都市住民たちの発言を聞いていて思ったのは、都市では「平等」は死につつあっても「自由」はまだ生きてるな、と。
少なくとも人々の心の中では。だから「子供を生む自由」なんて言葉が出てくる。
生物としてのヒトに「子供を産む自由」なんてものがあるのかどうか、許されるものかどうか、
私としては保留としておきたいところだが、現にそのような「自由」は存在している。
だが、田舎では少し様子が違う。
そのような「自由」はあまり存在しないように見受けられる。
これはただ単にそのような「自由」の存在にまだ気がついていないだけ、という気もしなくないのだが、
「不平等」つまり格差があり、条件が悪いから子供を産まない、産めないなんて感覚はあまりない。
子育てが苦しいもの、辛いものという感覚は皆にある。だが、難しいものという感覚はなくて、
子育ては耐え忍べば何とかなる、みたいな空気が支配的なのだ。
 
この感覚の差は何なんだろう?
矛盾した表現だが、田舎には「自由に縛られていない」ようなところがある。
まだある、といったほうが良いか。
 
ここから先に話を進めると「自由とは何か」みたいな難しい話になってしまいそう。
そんなこともいずれは書いてみたいと思ってはいるが、それはまた別の機会に。
今日はこんなところで置く。
 
番組を見たのはここらあたりまでで、後は眠くなって寝てしまったのでその先は録画したのを見なければならない。
また改めてこの番組についての感想はエントリーしたいと思っているが、
一番の関心は「少子化問題は環境問題だ」という話が出てくるかどうか。
私に言わせれば「子供を産む自由」なんてのは人間の勝手な都合でしかない。
自然のルールとうまく擦り合わせるには、どうしたらよいか?
そんな議論が出ることを期待しているのだが...