インタープリター講座

もう間もなく、源流館インタープリター講座が開講しますね。
どんな内容になるのか今から楽しみですが、その前に、
昨年のインタープリター初級講座について。
 
まず、言っておかなければならないのは、とっても面白かったということ。
それは、ただただ楽しく時を過ごしたというだけではなく、
そのあとに心の中に何か――共有感とでも表現すればよいか――が残ったのでした。
これは講師の松木さんの力によるところでしょう。
 
インタープリターという職業?の詳しい定義はよく知らないのですが、
あのときの講義で聞く限りは、自然と人間との仲介役というようなことでした。
しかし私の印象では、松木さんが導いて行ったのは、人と自然を結びつけるというよりむしろ、
自然を介して人と人を結びつける、というようなところだったのではないでしょうか。
これがインタープリターと称する人たち共通の技能なのか、松木さんの独自のものなのか、それはわかりませんが。
 
私が先のインタープリター講座のなかで感じた何か――共有感――は、
私の他の経験の中で比較すると、仲間と一緒に山登りをした後の感じに似ています。
山行の計画を立て、それぞれが役割と荷物を分担し、一列に並んで目標とする頂きに向かって一歩一歩登り、
皆で登頂したときの達成感。一緒にコゲ飯を食ったという共有感。
皆みなが普段から大の仲良しといったわけでもなかったのですが、
それでも一緒に山を登ったという事実、思いを共有しているということだけは間違いなく皆の中にあったと思いまし、
今でもその仲間と再会すれば、その思い出を再び共有できるだろうという確信もあります。
先のインタープリター講座で得た何かとは、そのようなものです。少なくとも私にとっては。
 
見ず知らずの人間を集めて、ほんの一日二日の講座でこのような体験へ導いていくことができるというのは、
まったく私には驚きでした。これが技能であるとすれば、大したものです。
ご自分で「詐欺師と言われたりもする」とおっしゃっていましたが、納得できるものがあります。
人の心理を読むのに長けているのはもちろんですが、
それだけでなく、人の心理を読む冷静さと人を惹きつけて行く情熱との間の
バランスをとることに常に意を用いているような印象を受けました。
言い換えれば、職業として行うことによる惰性に陥ることを、いかにして避けるかということですが、
そのことが、松木さんがインディアンにこだわる理由であろうとも思いました。
 
最初、松木さんのプロフィールを聞いたときに思ったのは、川上村でなぜインディアンなのか? ということでした。
プロであると言うなら、日本の山村にはそれに相応しいやり方でやれないものなのか、などと思ったりしていたものです。
しかし松木さんの講座を体験した今では、その考えは間違っていたということができます。
おそらくインディアンは松木さんにとってのアイデンティティの大事な一部分のはず。
その自分にとって大事な部分をぶつけること、それがおそらく情熱を持続させるための方法なのでしょう。
ですから、松木さんはインディアンでなければならなかったというのが、今の私の考えるところです。
 
つまるところ、やっぱり「人と人」なんですよね。

自分を信じて生きる

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