寿命

数日前のNHKニュースで、ネズミの寿命を伸ばす研究が成功した、とあった。
物質の酸化を抑える働きを持つ「カタラーゼ」という酵素
細胞の内部で通常よりも多く作るようねずみの遺伝子を組み換えると、
心臓の動脈硬化など老化によって起きる症状が抑えられ、寿命が約20%延びたということ、らしい。
生物の老化は細胞が酸化されて傷つくことで引き起こされるとされているが、
酸化を抑えるこの酵素が生物の老化に大きく影響していることが裏付けられた、と。
酸化を防ぐ物質を細胞の内部に効率よく運び込むこと が出来れば、
将来、ヒトでも寿命を伸ばす薬ができる可能性がある、とも。
 
めでたい研究であると思うし、今後の研究の成果に期待するところ大ではあるのだが、
ちょっと思ったのは、寿命が伸びるというのはいいことなのかな、と。
私の住む地域には徐福伝説があるのだが、
秦の始皇帝の昔から人間の求めることは変わらんのだな、とも。
もちろん私とて長生きはしたいし、皆がそう願うのにも共感する。
個々の願望としてはもっともなことだ。だが、それがかなって皆の寿命が伸びたら?
 
昔、学生だったころ、数理生物学なるものの講義を受けたことがある。
それによると、自然環境のもとでは生物の寿命もその種の存続に最適なように定められており、
それは数理的に計算可能である、とのこと。
例えば哺乳類であるならば、最後の子育てが終わった頃がちょうど潮時というわけで、
その頃に寿命を迎えるというのが、その種の存続のための資源の配分という点ではもっとも効率的になるという。
つまり、自然界には「余生」なるものは存在しないと。
 
こんなことを書くとお年寄りたちから非難を浴びそうだが、上にも書いたとおり
私も長生きしたい、余生をのんびりと過ごしたい。
だが、そうすることが実は、次世代のための資源を食いつぶしている、ということになるのだ。
ミクロ〔個人の長生きの願望〕とマクロ〔種の存続〕が矛盾してしまう、ということ。
 
個々の寿命の問題は、実は環境問題なのだ。