強力伝

新田次郎に『強力伝』という小説がある。

強力伝・孤島 (新潮文庫)

強力伝・孤島 (新潮文庫)

私が中学、高校に通っていた頃は、「新潮文庫の100冊」とか
「夏休みの課題図書」の中のリストに入っていたと思うのだが、今はどうなのだろう。
「歩荷」のことを書きながら、この小説のことを思い起こしていた。
本棚を探してみるも、行方不明で見当たらないのだが...。
 
「歩荷」のところで私は50キロ程度の荷を背負って歩いた経験があるようなことを書いたが、
実はこんなことは大したことではない。
昔、歩荷衆と呼ばれ、荷を背負って運ぶのを専門の仕事にしていた人たちがいたそうだが、
この人たちは最低でも自分の体重くらいの荷は背負って歩いたという。
私の体重は70キロ強くらいなので、最低でも75キロは背負わないと一人前ではないということだ。
中でも「強力」といわれた人たちは、自分の体重の2倍以上の荷を背負って歩いたという。
 
だがこの歩荷、非常にきついものであったらしい。
かつて歩荷衆が泊まる飯場でカシキをしていたことがあるというおばあちゃんに聞いたことがあるのだが、
この人たちは夜寝入りながら、皆が皆、苛まれているかのようにウンウンとうなされていて、
そのうなり声はとても恐ろしく感じられたとか。
カシキというのは、飯場で食事なんかの世話をする人のこと。
 
こういう記述は『強力伝』のなかにも確かあったと思う。
 
私自身も似たような経験はある。
ひと夏の歩荷仕事を終え、自宅へ帰ってしばらくの間、金縛りを体験した。
金縛りといってもオカルトなそれではなく、おそらくは体の疲労から来たものだろう。
朝、目がさめても体が起きないのだ。意識は覚醒しているのだが、体が動かない。
しばらくすると、何かのはずみでパッと何事もなかったかのように体が動くようになるのだが、
なんとも妙な体験であった。そんなことが一週間くらい続いたろうか。
それだけ体に疲労が蓄積していたのだろう。
 
『強力伝』の最後の場面は、重い荷を白馬岳の頂上まで運び上げた主人公が
達成感も何もなく、ただただ疲労感のみ感じていた様子の描写であったように記憶している。