カサンドラのジレンマ

地球環境の危機を警告しつつも、それは回避可能なばかりか、その先には明るい未来があるとする、希望の書。
予言の能力を持ちながら、その予言は誰も信じないという呪いをかけられたカサドラという古代ギリシアの王女の悲劇になぞらえて、地球環境の危機を唱えるものの言葉を人々は信じなければ破局を迎えることになり、また予言が信じられて破局が回避されれば結果として予言が外れることになるというジレンマを、著者は浮き彫りにしつつ環境問題認識の難しさを説く。
著者の描く危機的な状況を前にしても希望を失うことない現代のカサンドラたちの姿には、大いに共感させられるものがある。
持続可能な社会をいかにして構築するか、その可能性を大きく取り上げている。
 
しかし、私には不満が残った。
カサンドラのジレンマになぞらえて環境問題の認識を迫る構成には、引込まれるものがあった。環境問題とそれを取り巻く状況について、これほどわかりやすく記述されたものは少ないだろう。

私の不満は、核心の「持続可能な社会構築」の部分にある。
著者はそれをイノベーション、技術革新により可能になるとする。
果たしてそうだろうか。求められているのは技術革新なのだろうか。
 
技術革新でより効率的な技術の開発が進めば、成長することなく発展できる、つまりより少ない資源消費で、持続可能で豊かな社会を築くことが出来ると著者は言う。
著者はその技術革新の例として「ハイパーカー」を挙げているが、ハイパーカーでせっかく節約することが出来ることになった資源も、別のことに使ってしまっては何にもならない。資本主義体制下の消費者には、ハイパーカーで節約できた資源を、自家用飛行機を買って消費してしまう権利がある。
 
資本主義は欲望を肯定する原理である。人々の欲望を技術革新により叶え、また掘り起こし、それを拡張のエンジンとする原理が資本主義である。技術革新では、その欲望のエンジンの暴走を止めることは出来ないのではあるまいか。
必要なのは人々の欲望に歯止めを掛ける仕組み、であろう。
カサンドラのジレンマ 地球の危機、希望の歌