タケノコ

gushoukuuron2005-04-21

ぼちぼちと我が家の裏の竹やぷに、
タケノコが頭を出すようになってきた。
これも春の訪れのひとつの印なのだが、
私としては、またタケノコか、とちょっとうんざりしたような気分になる。
 
こちらに移り住んできてから初めての春、
ニョキニョキと出てきたタケノコを見つけて、私たち夫婦は喜んだものだ。
都会から来たものにとってタケノコが採れるというもの珍しさもあったのだが、
それ以上に切実な問題があったので、タケノコが生えてきたのに大喜びしたのだった。
 
この季節、畑の作物は端境期になる。
冬野菜はもう終わりだし、夏の野菜は今ごろが苗を植える時節なので収穫はまだまだ。
なのでこの季節、山に自然に生えてくる山菜がその間隙を埋め合わせるということになるのだ。
なかでもタケノコと、当地ではイタドリ(こちらではゴンパチと呼ぶ)が大きなウェイトを占める(占めていた)。
 
もちろん現在では田舎といえども、車を走らせて買い物に出かければ青物の野菜なんかは簡単に手に入る。
けれど、私たちはそうしたくなかったというのもあるのだが、それよりもあまりそうは出来なかった事情があって、
タケノコには大いに助けていただいたのだった。
 
そして、タケノコが生え始めて約一ヶ月、タケノコ堀りが仕事へ出かける前の私の日課になった。
多いときには20本以上、一日で掘ったりしたこともあった。
 
で、当然、食卓にはタケノコが並ぶようになる。
毎日毎日、朝、昼(は弁当)、夕食とタケノコをいただく。
そうなると人間というのは得手勝手なもので、もうタケノコはいいや、になってしまったのだ。
 
当時、毎朝タケノコを掘っていた私を見て、近所のオジサンは
「俺らも昔はこの季節、タケノコばっかり食ってた」なんて言ってきてくれたりした。
でも、やっぱり「昔は」なんだよね。
 
しかし、この「昔は」というのにはやむを得ない事情もある。
実は今では、タケノコはあまり田舎の人の口には入らなくなってしまっている。
原因は、というか犯人は、イノシシ。
こやつらが里にまで出没するようになり、やつらの好物のタケノコは人間が掘る前に食べられてしまうのだ。
 
我が家の裏の竹やぶはなぜかイノシシが来ないので、我々は幸運にもタケノコにありつけるというわけで、
仕事の仲間なんかにタケノコを持っていってやると、「珍しい」なんて言って喜んで持っていってくれたりするのである。