靖国参拝・それぞれの「心の問題」

8月15日の敗戦記念日から、はや一週間。もはや周囲遅れという気がしないではないが...。
周回遅れになってしまった言い訳というわけではないのだが、ここ2週間ほど、妻の実家へ帰省していたのやら何やらで、PCはお留守になっていた。妻の実家は山梨・富士吉田にあって、ここがまた夏を過ごすには実に快適なところで夏の帰郷は妻のみならず私も楽しみにしているのだけれど、かの地が快適な分、紀州に帰って来てからが辛かったりする。9日に出かけて帰って来るのは16日に帰って来ていたのだけど、紀州の湿気の多い暑さに参ってしまって、今日までブログに何かを書こうという意欲が全く湧かなかった。我が家にもエアコンなどという上等なものが備え付けられてたのなら違ったかもしれないが、そのようなものを備えるつもりも金もない。暑いときは暑いなりに、何とかやり過ごすしかない。
19日まで台風の影響でこちらは雨で、本日20日にやっと夏期休暇(といったって、会社勤めのようにいつからいつまでと厳密に決まっているわけではない)明けの初出勤となったわけだが、身体を動かして積極的に暑さに対処した分、やっと書いてみようという気分になった次第。
 
敗戦の日小泉首相靖国神社参拝のニュースは、当然のことながら、妻の実家で接した。朝からそのニュースばかりで皆、閉口した様子であった。私にとっては少なからず関心のある問題であるので、いろいろな報道や情報に当たってみたかったし、またこの問題を話題にしたいところでもあったが、それをすると「和」を乱すことになるのは目に見えていたので、やめた。妻が制止の目線を送っていたことでもあるし。
しかし、おそらくはこれが平均的な日本人の姿ではなかろうかと思う。妻の両親だって生まれは戦前で、従軍の経験はないとはいえ戦中戦後の貧窮した暮らしを体験してはいるのだろうけど、彼らにとっては靖国など「心の問題」ではないのだろう。というかむしろ、「心の問題」にしたくないという意識が働いているような気配が感じられた。
 
靖国神社という施設は、戦前戦中は戦争に従軍する兵士を作り出すための装置としての役割りを果した。創設の当初から兵隊生産装置として意図されたものかどうかはわからないけれど、欧米列強と日本が張り合っていく歴史の中で、そういった役割りを果たしていくことになったことには間違いない。その役割りのためだけの装置だと断定するのはどうかと思うが、その役割りを担っていたことは否定できない。
ところが日本が第二次大戦で敗北し、靖国の兵士生産装置としての役割りは消滅した。その役割りの消滅と同時に靖国も消滅させるという選択肢も日本を占領したGHQにはあったのだろうが、GHQはその選択をしなかった。これはおそらく昭和天皇を断罪しなかったのと同様の理由であったろう。そして戦争を放棄した日本において靖国神社の果してきた役割りとは、戦争当事者や遺族たちの「心の問題」の受け皿だったのではなかろうか
戦争当事者や遺族たちの「心の問題」といったって、それが皆々が一様なものであるはずはない。敗戦後、日本人の大部分はそれまでの軍国主義から平和主義へコロッと宗旨替えをしてしまったけれども、それでも全ての日本人が宗旨替えをしてしまったというわけではなく、中にはそういった宗旨替えを出来なかった人だっている。そういった人たちの「心の問題」を受け止めてきたのが靖国神社ではなかったろうか。それに実際のところ、いわゆる靖国史観が全くの間違いだとは言い切れない。あの戦争がアメリカの謀略であったという側面は、これはこれで間違いなくあり、そこからすると東京裁判戦勝国が自らの犯罪行為を棚上げするためのセレモニーにしか過ぎないとする見方だって十分に成立しうる。そして、この見地からすると、かつての戦争を肯定しA級戦犯を合祀した靖国神社の行いも、これはこれで一つのスジが通った見方といえなくはない。
だが、戦後の日本は「戦勝国の論理」による歴史観を受け入れることで独立国として再出発した。この歴史観はもちろん靖国史観とは真っ向から対立するものだが、だからといって、靖国史観を抱く個人の歴史観までも否定するものではない。人それぞれの歴史観とはつまり人それぞれの価値観であるわけだから、国家の公式見解がどうであれ、個人の「心の問題」を否定できるものではない。戦後の靖国神社は、国家の公式見解とは異なる歴史観・価値観を持つ人たちの「心の問題」の受け皿になることによって、反ってそういった価値観を持つ人たちを慰撫する役割り、つまりガス抜きの役割りを果たしていたのではないだろうか。
また、平和主義に転向した人々にとっても靖国は一定の役割りを果してきた。これは小泉首相が言う通り(本心からかどうかは知らんが)「心ならずも心ならずも戦争で命を落とさざるを得なかった方々へ哀悼の誠をささげ」「二度と戦争を起こしてはいけないという決意を新たにする」という、こちらはこちらで「心の問題」の受け皿となる役割をである。
いずれの立場であるにせよ、敗戦後60年以上の年月が経過して戦争を体験した人たちも次第に亡くなっていき、靖国の果すべき役割りも徐々に小さくなってゆき、やがては自然消滅していくはずであった。日本が敗戦時に誓った平和への決意を持続させていくならば...。
 
靖国に絡んでの「心の問題」ということであるならば、先に明らかになった昭和天皇の「心の問題」について触れないわけにはいかない。発表されたメモが本当に昭和天皇の「心」を表現したものなのかどうか、議論はさまざまあるのだけれど、勝手な推測を言わせてもらうと、あのメモの内容は昭和天皇の本心なのだろうと思っている。
憶測だけれども、昭和天皇は戦争責任を感じていたのだと思う。外形的な事実としては昭和天皇は戦争責任を追及されることを免れたけれども、昭和天皇の「心の問題」としては戦争責任を感じていたはず。そういった「心」があるからこそ昭和天皇は、共に戦争責任を負うべきA級戦犯たちが合祀された靖国神社に参拝することをしなかったのであろう。昭和天皇A級戦犯を合祀した靖国に参拝することをしてしまうと、それは自らの「心の問題」として負っている戦争責任を否定してしまうことになるからである。
この昭和天皇の「心」とは、職業倫理であると思う。天皇という身分をからいえば「ノブリス・ オブリージュ」と表現した方がよいか。私自身は人間そのものに貴賤があるという考えに組しないので、あくまで天皇も一つの「職業」と考えて職業倫理としたいが、いずれの呼び方をするにせよ、昭和天皇は高い倫理観をもった人であったと思う。同意できない人が少なからずいるかもしれないが...。
昭和天皇が高い倫理観を持っていたということに同意できない人であっても、この人との比較であれば、十分高い倫理観をもっていると同意できるのではあるまいか。この人とは、同じ靖国参拝を「心の問題」としている人、現在、日本という国において、実質上最高の職業=内閣総理大臣に就いているおられる小泉純一郎氏である。この人にとっての「心の問題」とは、職業倫理でないことは明らかだ。この人の職業倫理は...、言及するのもバカバカしい...。