「お玉おばさんでもわかる政治のお話」と掛けて「華氏451度」と解く

その心は「自分の言葉」
 
今日は別のことを華氏451度さんからきっかけをもらって別のことを書こうと思ってたのだけど、予定を急遽変更。
「お玉おばさんでもわかる政治のお話」の「お玉な話」を覗いて、何かコメントを書こうかな〜なんて思いながら、言葉が思い浮かばなくて、それから予定していたエントリーを書こうと思って、先日コメントさせてもらった華氏さん記事をもう一度読み直そうと思って覗きに行ったら、「どれほど低レベルでも、私は自分の頭で考え、自分の言葉で語りたい」が新たにエントリーされていて、そこを読んでまたコメントさせてもらったのだけど、それでは飽き足らなくなって、この記事を書き始めた次第。
 
で、何が書きたくなったかというと、「自分の言葉」。いや、いつだって自分の言葉を書いているつもりではいるのだけど...。
 
「お玉な話」を読んで思い起こしたのは、わが町の「九条の会」の最初の会合のこと。
ド田舎のわが町に「九条の会」が立ち上がったのは、とあるおバカが「やりたいっ!」って言い出して、それに私を含めた数人のバカが乗っかったことから始まったのだけど、とりあえずは憲法9条に絡む諸問題の勉強会あたりから始めよう、というの呼びかけ人の考えだった。でも、それじゃつまらん、といってひっくり返してしまった。犯人は私。「九条の会」なんてものがあるというのは、恥ずかしながらそのとき初めて知ったのだけれど、そこに名前を連ねている錚々たる顔ぶれを見て、私はヒネクレ者だから、これはイカン、と思った。こんなエライ人たちの言葉を勉強して、判ったつもりになって、それで9条だの平和だの、なんて他人に語ったって、絶対共感してもらえない。そんなのは所詮、他人事。それにまず、わが町のような超高齢化&過疎のド田舎では、梅原猛だの、加藤周一だのといったって、知らないって。
自分の言葉を生み出すための他人の言葉を学ぶのであれば、それはそれでよい。けれど、平和の大切さについて学ぶのであれば、何も遠くのエライ人の言葉を勉強しなくったって、近くにいる戦争体験者に話を聞けばいいではないか。エライ人の言葉を学ぶことが無意味だとは思わないけど、平和の大切さを「実感」したいなら、実際に戦争を体験して、骨身に染みて平和な世の中のありがたさを実感している人の話を直接聞いた方がよかろう。それだったら過疎のわが町にだって、人材はたくさんいるではないか。スタートするならそこから始めなければ...、 そんなことを言ったと思う。
 
「doll and peace」のぷらさんが、「コーソツ主婦の靖国問題(1)」の記事の冒頭に

この文章を書くにあたり、まず無学な一主婦が、何故こんな問題に首を突っ込んで頭を悩ませなければならないかを考えて、苦笑してしまった。ホントなら、晴れた日の休日、コドモと一緒に弁当でも持ってお出かけしたり、ショッピングを楽しんだりした方が、よほど健康的で家族も喜ぶはずなのだ。私は一体何をやっているのか?

なんてことを書いておられる。「一体何をやっているのか? 」と自問しながら、それでもやらずにはおれないのは何か理由があるはずなのだが、一番大切なのは、その「理由」なんだと思う。私はそれによく「出発点」という言葉を当てはめたりするのだけど。
「自分の言葉」にはその「理由」「出発点」が滲み出る。なぜ、平和が大切なのか? 戦争がいけないのか? 自分の中に理屈ではない「理由」があるなら、それは自ずから「自分の言葉」になるはずだ。言葉の使い方はたとえ他人のモノを借用したにしても。
 
九条の会」を始めた当初、私の9条に対する意見は、「現時点での改正はマズイ」というものだった。「現時点」ではということは「いずれは改正すべき」であるという考えが根っこにあって、今改正したってアメリカを利するだけだからマズイ、だから「現時点では反対」というのが立脚点だった。けれど、その考えは変わっていった。それは、戦争はダメという理由をしっかりと持っている人の「自分の言葉」に接したからだと思う。それ以前の「現時点での改正はマズイ」という考えは、「日本国憲法アメリカから押付けられたものだから改正すべき」という考えと同程度の、自分の中に確固とした理由のないアタマデッカチの考えであったと今では思っている。
 
華氏さんの「どれほど低レベルでも、私は自分の頭で考え、自分の言葉で語りたい」のエントリーは次の言葉で締めくくられている。
「人間を動かすのは、同じ人間の肉声だけである」
「自分の言葉」で何かを書こうとするとき、それは何も人間を動かそうと意図して書くものではない。いやいや、何時もそう意図していないとは言い切れないけど、そんな意図が働いてしまうときは、「自分の言葉」といえども、どこかしら不自然になってしまう。他人から共感を得ることが出来るのは「素直な」「自分の言葉」なのだろう(これが小泉人気の原因だったりして)。
 
ちょっと言い訳。
「自分の言葉」で書いておられるのは、書いておられると私が思うのは、お玉さんと華氏さんだけというわけではありません。念のため。
私が愛読させてもらっているブログは皆々、「自分の言葉」で書き綴られていると思ってます。お玉さんと華氏さんを挙げたのは、たまたまです(なんだか余計に言い訳ぽくなったような...)。
 
それから、UTSにひとつ提案。
このような“謎掛け”、UTSでやってみてはどうでしょう? プロジェクト参加ブロガーの誰かと誰かの記事から共通のキーワードを探してきて、それで自分が記事を書く、といったような。