北朝鮮女子、主審に蹴り 〜 愛国心至上主義者

アジアサッカー連盟(AFC)は28日、07年女子W杯予選を兼ねた女子アジアカップ準決勝の中国戦で、審判団への暴力行為で退場処分を受けた北朝鮮GKハン・ヘヨンら3選手について、30日に行われる日本との3位決定戦を出場停止にすると発表した。

 北朝鮮は27日の中国との準決勝で0−1で敗れた。試合終了間際に同点ゴールを決めたかに見えたが、オフサイドの判定でゴールは幻に。これに激怒、複数の選手が試合後に判定を不服として審判員を追い回して猛抗議。激しく副審に詰め寄ったDFソンがイエローカードを受けると、興奮したGKハンが主審を小突いてレッドカードを受けた。その後、蹴りを入れるなど暴力行為に及んだ。

 出場停止処分となったほかの2選手はペットボトルを投げつける暴挙に出た。選手が投げたペットボトルの一部がスタンドに飛び込んで、中国人サポーターが応酬。ピッチ上をモノが乱れ飛ぶなど、地元警察が介入する事態にまでの大騒動に発展した。

夕刊フジより】

審判にケリとは、さすが北朝鮮。やっぱり北朝鮮は異常な国なんですね。オワリ。
(主審を蹴って泣き崩れたGKのハン選手)
 
 
 
 

 
 
 

...ではなくて、同じサッカーがらみの暴力沙汰で、まだ記憶に新しい「ジダンの頭突き」と比較してみたいと思いまして。
代替文
 

 
 
 
 
 
 
 

 
 
ジダンの頭突きについては先日、記事に書いた(やっぱりジダンのこと)。
その記事にて、こんなことを書いた。
「スポーツの美点は、それが闘争の一形態でありながら、完全にルールの支配の下で行われるというところにある。ルールの支配があるからこそ、闘争の美点が映える。プレーをする者もプレーを鑑賞する者も、安心して闘争の美点を楽しめる。けれど、例えば一時期のイラク北朝鮮のように試合の結果が選手の生命の安全を脅かすという事態になると、スポーツの美点が損なわれてしまいかねない。ここにはスポーツのルールを承認しない「力」が反映されてしまうから。これは醜い。
今回、ジダンマテラッティは、確かにルールの一点を破ったのだが、より大きなルールには従う。だがスポーツという大きなルールの器そのものは破れていない。で、あるから一筋縄でいかないといいながら、問題はさして深刻ではないのだ。問題が深刻になるのは、一筋縄ではいかない、そのいかなさ具合がルールの器から溢れてしまうときだ。」 
 
この記事ではより大きなルールをいわゆるスポーツマンシップだとしたのだけど、今回処分を受けた北朝鮮女子サッカーの選手はこれには従わなかった。彼らが従ったのは、彼らなりの「愛国心ではないかと想像する。
 
北朝鮮という国においては、サッカー選手といえばエリートだ。いや、日本だってフランスだってブラジルだってサッカー選手はエリートといえばそうなんだけど、こちらは必ずしも国家を背負っているわけではない。北朝鮮の場合はおそらく国家を背負って試合に臨んでいるだろうから、こちらは文字通り「国家エリート」であるのだろう。
であるから、彼らが従う「大きなルール」が「愛国心」であるのは当然のことだ。愛国心至上主義者だから国家エリートなのであり、ゆえにスポーツのルールよりも、またそのルールの体現者たる審判よりも国の威信の方が大切。彼らにとって「審判へのケリ」は当然の行為であったのだろうし、また彼らのお国では彼らは国家の威信を守った英雄として扱われるのではないだろうか。
 
スポーツ、特にワールドカップやオリンピックのような国際イベントは、愛国心発露の場ではある。誰しも自分が所属する国には愛着心はあるはずで、自分の国のチームや選手が優秀な成績を収めると我が事のように嬉しい気持ちになるものだ。この場合の愛国心は、美しいものと言ってよいと思う。
 
だが、今回の北朝鮮女子サッカー選手の愛国心は美しくない。
 
ジダンマテラッティの事件は民族差別がきっかけということで、これも愛国心と同じように彼らのアイデンティティに関わる問題であった。この事件が「スポーツの器の中」で収まったのかどうか、微妙なところではあるけれど、少なくとも彼らは審判の裁定に従った。ジダンはレッドカードに従って、涙ながらに退場した。
 
スポーツは闘争の美点を際立たせる。スポーツという大きなルールの下では愛国心もその美しさを際立たせる。だが、愛国心が大きなルールを越えて至上のものとなったとき、その愛国心は醜いエゴに堕ちてしまう。
北朝鮮の選手たちは愛国心の醜さを示してくれたのだけど、彼らは彼らでその愛国心自画自賛をしているのだろうと想像する。
愛国心であろうとなんであろうと、自画自賛に終始するものは恐ろしい。自画自賛も結構だけど、他者からの賞賛なき自賛は...、百害あって一利なし。