それってバッシングじゃないの?

かなりピントがズレてると思うけど、でも書きます。
 
日本は「空気」が支配する国という指摘をしばしば見かけるし、当たっていると思う。ここのところ話題になっている村上ファンドへの非難、というか、バッシングもこの「空気」のなせるところじゃないのかな。賞賛の「空気」が瞬く間に翻って非難に変わり、バッシングになっていく。確かに村上氏はウソつきだったみたいだけど、騙されたヤツだって全く責任がないわけではない。特にご自分がカシコイってことを商売のタネにしていらっしゃる方々、この人たちは「騙されてた」ってことでもう既に責任があるわけで、それだけでなく知識も情報もない人を騙されるように誘導して、私たちにしてみれば、村上氏に騙されてたっていうより、あなた方に騙されてたって方が当たってると思うんだけどね。そういう「空気」を作ってさ。
 
この村上ファンドへのバッシングで、とばっちりを受けて気の毒なのが福井日銀総裁。福井さんもヘマしたけど、福井総裁への「道義的責任」の追及は行き過ぎじゃないの。福井さんがインサイダーか何か知らんけど、明らかな法令違反をしていたなら、そりゃ辞めてもらわなきゃなんないし、それだけでなく罰も受けてもらわなきゃなんないでしょう。けどそれは、法令違反が明らかになってからの話。「道義的責任」を取れ? 儲けたら道義的責任を問われるわけ? 
福井さんのしたことは、あんまり褒められたことではないんでしょう、それは私にもわかる。でも、ダメって決まってないことをしたからといって、後からそれはダメだったんだ、道義的責任なんだって、何それ? 
だいたいこの「道義」とはいったい誰が決めるの? 結局「空気」で決まるんじゃないの?。空気なんぞで道義まで決められてしまったら、たまったものではないじゃない
村上ファンドが槍玉に挙げられなかったら、福井さんだってバッシングされなかったでしょうよ。でも、それはオカシイ。いや、もし福井さんが村上ファンドの犯罪を知っていて、自分だけ抜けたというのなら、それはインサイダーってことになるんだろうから、アウトでしょう。でも、知らなかったんだったら? 犯罪者であろうとなかろうとファンドに投資してはダメなんだったら、村上ファンドが犯罪行為をしていようがしていまいが、ダメなはず。そしてそれはルールにキチンと明記してあるはずで、「道義」なんて曖昧なものが介入する余地なんてない。ここでいう「道義」ってのは、村上氏が犯罪者だったから福井さんも責任を取りなさいっていうのと一緒じゃないの? これって、単なるバッシングでしょう?「李下に冠を正さず」なんて諺をあちこちでみかけるけど、李下に冠を正したら即レッドカード? だとするならこの世は地雷原だな。
必要なのは、責任ある立場の人が従うべき公正なルールを厳格・詳細に定めることでしょう?「道義」なんて曖昧なもの、すぐに豹変してしまうものを判断の基準にされてはたまらんですよ。
福井さんの「疑惑」が報道されたのも、村上ファンドが「悪」と決定付けられてからのこと。村上ファンド=「悪」が決定付けられなければ福井氏の疑惑も報道されるべき価値を持たなかったろう。「報道されるべき価値を持たなかった」ことをこそ、検証すべきじゃないのかな?
 
 
気に喰わないな思っていることがもうひとつあって、書こうか書くまいか迷ってるんだけど、ここまでキーを叩いてしまったんじゃそのままの勢いで続けてしまうけど、「安倍官房長官統一教会の結婚式に祝電を送った」という話。何が気に喰わないかって、安倍氏を叩く一部ブログ界の「空気」。
先に言っておくけど、私は安倍氏のシンパなんかではありません。次期総理大臣にもっとも相応しくない人物を挙げろといわれたら、たぶん安倍氏を挙げる。総理大臣どころか、政治家としてもあんまり良い人材とは思えない。けれど、だからといって安倍氏に関することならなんでも批判すればいいとは思っていない。
統一教会にも、好ましからざる印象を持ってはいる。統一教会を知ったのは学生時代だけど、そのころから「あれは危ないから近寄るな」と周囲から言われ、カルトだという認識はあった。後々得た情報によっても統一教会はカルトであるという認識は強化された。けれども、だ。
好ましからざる人物である安倍氏とカルトたる統一教会に繋がりがある。なるほど、危なそう。けれど、だからといって、結婚式に送られた祝電にまでイチャモンをつける気はない
好ましからざる人物がどういう意図で祝電を送ったか、それはあんまり褒められた意図ではなかろう。けれど、祝電は祝電だ。祝う人間と祝いを受ける人間がいて、大切なのは祝いを受ける人間の方だと思う。一度に5000人が挙式を行う合同結婚式であろうが、それが彼ら一人一人にとっての晴れ舞台であることには間違いない。その結婚式を挙行する側の人間の意図がどうであれ、結婚式の主役は新郎新婦。彼らが喜んで「安倍晋三内閣官房長官」からの祝電を受け取ったのなら、それでいいんじゃないの? たとえ5000人が喜びが洗脳されたものであったとしても、だ。祝電にイチャモンをつける人たちって、結局5000人をカルトの群れとしか捉えてないんじゃないの? だから5000人の1人1人のことになんて関心はないんだ。 
こんなの情景、最近テレビで見たような気がする。NHKの『日本のこれから』って番組だったかな。政治家のお偉いさんがそんな感じだった。
 
それと、以下のようなことも気になる。
アブナイ人物Aとアヤシイ人物Rがメッセージをやり取りした。このメッセージをもって犯罪とするのが「共謀罪」の構図でしょう? このメッセージを恣意的に解釈するわけだ。この恣意的解釈が「良心の自由」を侵犯する、だから共謀罪はケシカラン、こんな話だったと思う。
今、Aをあべし、Rを統一教会として、AからRにお祝いのメッセージが届けられた。このメッセージをもって、何か良からぬことを企んでいる根拠だとする。こちらの恣意的解釈は許されるわけ? 
きっとAとRの間には、誰がどう見てもワルダクミをしているとした受け取れない動かぬ証拠があるのだろう。ならばそれを掲げてAとRを攻撃すればよい。祝いのメッセージを槍玉に挙げるなんて、私はイヤだ。こんなのはバッシングでしかない。
 
 
勢いに任しておバカなことを書いたかも知れんけど、さて、このバカさ加減が我が身にバッシングを招く結果になるか? でも出来たら勘弁してくださいね。どこかヘンならバカはバカなりに一生懸命考えますから。
 
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