ビラミッド型・サークル型

5月20日のエントリーで触れるつもりだったものを、今から書く。もっと早くに書くはずだったのだけど、親戚に不幸事があって出かけていて、出来なかった。妻の祖母の通夜・葬式だったわけだけど、関東出身の妻はその親戚が皆関東に住んでいるわけで、なぜか関西のド僻地に住んでいる妻(ついでに私)にとっては結構な遠出であった。
ブログは時系列を軸にして構成されていく日記形式なので、なんとなく「流れ」というようなものがある感じがして、とある話題に触れるに当たってある時期を逃してしまうとやりにくい感じがしたりする。そんな時はいつもなら、また機会はあるだろう、ということでやりすごすのだけど、今回は敢えて書いてみる。PCの前をお留守にしている間、そのことが気になって仕方がなかったので。

ブログに似つかわしくない「世を倦む日日」

以下、5月20日のエントリーで「ブログ界の「交錯」」としたことについて。この「交錯」は『週刊金曜日』の「国民投票で勝つために」の記事についてなされたもので、その震源地は「世を倦む日日」5/165/18あたりの記事)。ここを巡って「三四郎日記」さんや「雑談日記」さんが批判をされていた、ってそれだけのことだったのだけども、このやりとり(やりとりになっていないから「交錯」としたんだけど、この「交錯」という言葉も相応しかったかどうか疑問)が面白かった。
もはや「世を倦む日日」については真面目に取り上げたくはないのだけど、やっぱりオモシロオカシイし、ブログ界で起きている“とある現象”の片面を象徴している存在のように思えるし、残念ながら無視できない存在ではあるようだ。私が「世を倦む日日」というブログの存在を知ったのは最近のことだけども、このブログを読んでいていつも感じる印象は“ブログらしからぬブログ”だということ。このブログは「ピラミッド型」を志向しているようにしか思えないからである。「ピラミッド型」であれば何もブログである必要はない。従来型のホームページで十分だし、そちらの方が自分の考えを縦覧してもらう場合には相応しい。ただブログが流行だから、そちらを選択したということだろうか。それになにより「ピラミッド型」の場合、彼のブログに幾ら読者が多いといえども、現在においてマスメディアの影響力には敵わない。

ブログは「サークル型」のメディア

従来のマスメディアは、「ピラミッド型」のメディアである。情報の発信者がと受信者が明確に区別される。その上、少数の発信者と多数の受信者という構図にならざるを得なかったから、情報を握る少数が権力者になってしまうという構図が出来上がってしまうのも、致し方のないことでもある。
ところがブログは違う。情報の発信者と受信者の区別がない。これはIT技術の進展によってもたらされた。この技術が他のものと本質的に違う点は、ブログは情報伝達のあり方を変えたということにある。情報伝達の質や量を向上させたというのとは違うのである。情報伝達のあり方が変化するということは、これは社会そのものが変化するということにつながる可能性を秘めている。情報の発信者が限定されていたことで生じていた権力の構図が、もはや技術の進展と共に時代遅れのものになってしまうかもしれない。ブログとは、そういった可能性を秘めた「ツール」なのである。
だがブログといえども「ツール」であるから、ブログを開設する者がいかように活用しようとも、その活用の仕方に文句をつける筋合いはない。であるから「世を倦む日日」が「ピラミッド型」のブログ活用法を志向していたとしても、そのことそのものを非難はできない。ただ「世を倦む日日」を読んでいると、ブログが「サークル型」であることを認識していて、そのことを遠まわしだが意識的に批判しているようなフシがある。いや、「意識的」というのは憶測だけれど、テサロニケ氏の記述から伺える知的なレベルの高さから考えると、彼が意識的であっても何ら不思議ではない。そして彼は、「サークル型」であることが、ブログのみならず、社会のあらゆることにおいて気に入らないように私などには思えてしまう。
「ピラミッド型」のブログは何も「世を倦む日日」ばかりではない。政治家やタレントたちのブログも「ピラミッド型」である。彼らはブログを手軽に情報発信できる手段として利用してはいる。彼らが従来のホームページではなくブログを自らの情報発信の手段として選択しているのは、その簡便性が理由であろう。彼らのブログがピラミッド型になるのは、ただ単に彼らの地位(この地位のあり方が「ピラミッド型」)を反映したものであって、彼らの中に「サークル型」「ピラミッド型」という意識はあるまい。
だが「世を倦む日日」は違う。彼はどうも意識的であるようだ。憶測を元に批判するのは危険だけれも、その危険を承知の上で、再度「世を倦む日日」への批判を試みてみたい。

「世を倦む日日」の記述から

例えば5/9にこういう記述がある。

ブログで政治を変えるためには、多数に認められ、多数に注目される必要がある。田中角栄が言ったとおり、政治は力、力は数である。数こそ説得力の証明だ。たかだか周囲数十人の「群れ合い共同体」で響かせ合う宿恨と劣情の共振と交換のレベルでは、およそ政治を動かす力などにはならないのであり、山奥の村議会でやっている三流派閥政治以下の「趣味のブログ政治」である。

まったくご説ごもっともなのだが、結局のところこの視点は、認められる者と認める者との間に明確な線を引いて、認める者を「数」としてしか認識していないのが明らかになっている。
5/10には

これは私の勝手な観測だが、嘗ての左翼の組織論におけるスターリニズム(民主集中)のトラウマのために、言わば羹に懲りて膾を吹きすぎているのではないかという思いが頭を過ぎった。上位下達システムを嫌忌して、徒に水平アメーバ型組織論に執着しているのではないか。

スターリニズム(民主集中)のトラウマ」はテサロニケ氏の想像ではなく、私などの直面している現実である。故に「水平アメーバ型組織論に執着している」のも事実だ。だが、ここには理由がある。彼が指摘するようなネガティブな理由からではない。彼にはそこのところが見えていないか、意識的に無視している。いや、無視しているだけではない。意識的に攻撃している。
5/18から

小森陽一の戸別訪問論は、何か政治の運動論と言うよりも、宗教的な精神論気配が濃厚なのである。勝つための方法や戦術ではなく、負けて死ぬ者の覚悟や諦念の諭しの響きがある。関ヶ原で負けた西軍の側が、死に場所を求めて大坂の陣に参集している雰囲気を感じる。「座して死を待つのではなく、最後は戦うだけ戦って悔いなく死のう」という思想性。

アメーバ型組織論から戸別訪問論が出てくるのは当然の帰結といえる。その帰結を「宗教的な精神論気配」とする。そしてその気配に「死に場所を求めて大坂の陣に参集している雰囲気を感じる」。「感じる」としてあるわけだから、これが論理的に導き出されたものでないことは明らかだが、一方で自らを「政治に影響を与えることが出来るブログ」として自らの影響力を誇示していながらこういう言説を行うことは、自らに批判的なTBを拒否していることと併せて考えると、これは明らかに戸別訪問論(=アメーバ型組織論=サークル型)を否定しようと誘導しているわけだ。それも論理的な帰結ではなく、自らの「感じ」での誘導。
こういう彼に「宗教的な精神論気配」として他方の雰囲気を否定する資格があるかどうか。
結局テサロニケ氏は、5/10に

改憲阻止の戦いは関ヶ原だ。生きるか滅びるかの決戦であり、世界にとっても国連憲章の生死のかかった戦いとなる。

とあるとおり、「生きるか滅びるか」という思考の枠から脱しきれていない。そういう自らを「イマジネーション溢れる」と規定しているのは、見ていて失笑せざるを得ないが、ただ彼の記述は真実を突いていることも多く、失笑するだけでその全てを否定してしまうには、もったいないものもある。

金も人も時間も惜しんではいけない。大きな戦いにして大きく勝つことだ。一部の中高年左翼だけが小さく地域で集まる護憲読経運動のレベルに終わらせてはいけない。

これはまさしくその通りであって、否定できない。彼が唱えるように最終的には「勝利」を勝ち取らなければならない。ただ彼と我われの間で違うのは、その「勝利」へのイマジネーションである。

間接民主主義から直接民主主義

私は共産主義の信奉者ではないけれども、マルクスの示した唯物史観には説得力を感じる者である。ごくごく大雑把に言ってしまえば、マルクス史観は環境論だと私は捉えている。「社会の発展は、その社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる」Wikipedia「唯物史観」より)という点には、不完全ながら同意できると考えている。不完全としてのは、環境によって影響を受けるのは「唯物」に限定されるものではないと“感じて”いるからである。
そのマルクス史観の示すところによれば、人類社会は原始共産制から出発し、専制国家、資本主義社会を経て再び共産制へ回帰するということらしい。この史観が真実かどうかはさておいて、人類がその出発点において原始共産制であったとするならば、その社会は「サークル型」の社会であったろうと想像する。人類社会は、そこに環境から何もストレスがかからない状況に置かれれば、「サークル型」の社会になるのではないかと私は勝手に想像している。そのような「サークル型」人類社会が「ピラミッド型」である専制国家に移行して行ったのは、これはまた大雑把に云わせもらうと、そちらの方が気候変化等で厳しくなっていった環境に対応し易かったからであろう。何かと「戦う」とき、「サークル型」では難しい。ひとつの意志をトップダウンで浸透させるほうが有利であるからであろう。
人類は自然環境に適応するために、さまざま技術を生み出した。この技術は現代に至ってさまざまな環境問題を引き起こしているのだが、その点はとりあえず棚上げにしておいて、人類社会が自然環境から受けるストレスという面については、先進国に限ってだけれど、技術のお陰で大幅に軽減することが出来た。そうなってくると、人間にとっては本来不自然で厳しい自然環境に対応するためにやむを得ず採用した「ピラミッド型」社会を、本来の形である「サークル型」社会――これがマルクスの夢想した共産制ではなかったのかと思っているが――に戻そうという動きが自然と出てくる、現在はその局面に入りつつあるのではないか――。私が森の中で考えるのは、そんなことだったりする。
間接民主主義という制度は、「ピラミッド型」社会の中であっても人々が「平等」――サークル型社会であれば、自ずから備わっているモノ――をなんとか実現させようと、知恵を絞って作り上げた制度である。だからこの制度(形式ではなくその理念)を維持しようとすれば「不断の努力」が必要なってくる。鍵は「モラル」である。
今、ブログという技術が出現し、まだまだ表現手段に限定されたことであるとはいえ、「サークル型」の意志伝達に大きな可能性が開けた。私たちがイマジネーションを働かすべきは、このような新しい形の意志伝達のあり方が、どう世の中を変えていくか――「政治」などという世の中の在りごく一部の断面だけではなく――、そう考えるのである。
新しい意志伝達の形は、これまでは理想とされながらも技術的に不可能であった、直接民主主義への道を開くのではないか。この場合、同じ民主主義とはいえども、「間接」の場合とは本質的に非なるものになるだろう。職業的政治家を必要としないような政治が生まれるのではないかと、そう夢想する。
もし、仮に世の中がこういう方向へシフトしていくとするなら、テサロニケ氏が「宗教的精神論」と揶揄する雰囲気が必要になってくるだろう。実は私は、テサロニケ氏がそのことを感じ取ったことに喜びを感じている。彼はそのことをピラミッドの頂点を志向する者として危機と感じ取ったのかもしれないが、私のように地べたを這い回る者には、それは希望である。
テサロニケ氏は最終的には「数が勝負」であると指摘した。その通りだ。だが考えてみるがいい。地べたを這う者とピラミッドの頂点に立つ者と、どちらの方が「数」が多いのかを。私たちは地べたに這う者を数としてしてしかカウントしない者たちへ、私たちは単なる「数」ではないことを示さなければならない。

現在の護憲運動について

憲法9条を巡る運動とは、私たちは単なる「数」ではないことを示す、そういう運動なのではないのかと、私は思う。私たちの当然の願望である「平和」ではなく「平穏な暮らし」、もっともらしい言説でこれを乱すものたちへの私たちの願望と意志を示そうとする運動である。改憲派と頂上決戦を演じるような戦いではなく、新しい社会 ――代表者を通じてでなく、直接自らの意志を示すことが出来る社会――への扉を開こうとする試み、私は現在の護憲運動をそのようにイマジネーションしたい。
戦争という「ピラミッド型」でなければ起こりえない現象を根絶するためには、どうしたらよいか? 憲法9条の記述はともかく、精神はそこを問いかけている。私は天の意志なるものを信じるような信仰深い人間ではないけれども、ブログという「サークル型」意志伝達を可能にするツールの出現と、「ピラミッド型」社会の帰結である戦争を否定する護憲運動の盛り上がりが、同じ時期になされている「偶然」を思うとき、そこには 偶然を越えた何かがあるような気がして仕方がない。
 
ここで、ブログの中で出会った詩を紹介したい。
 南無浄瑠璃
 われら人の内なる薬師如来
 われらの 日本国憲法第九条をして
 世界の すべての国々の憲法第九条に 取り入れさせたまえ
 人類をして 武器のない恒久平和の基盤の上に 立たしめたまえ
いつもお世話になっている華氏451度さん紹介されていたものである。日を追うごと、この詩の重みを感じるようになってきているような気がする。なかでも「われら人の内なる薬師如来」という一文。われらの中に等しく薬師如来に象徴される精神が宿っていると信じること。そのわれらの内なるものへの祈り。ここに次の社会への鍵が埋まっているような気がしてならない。