私たちには共謀する場が必要

とりあえず16日の強行採決は見送られたらしい。NHKの朝にニュースで「共謀罪修正 与野党の調整続く」と出たときには、ホッした。けれどまだまだ安心は出来ない。組織犯罪処罰法を廃案にし、このような悪法を作ろうとする者たちが政治の場からいなくなるまで、安心できない。
 

      

 
先のエントリーにいただいた『晴耕雨読』早雲さんのコメント
共謀罪が進むべき道を示しているように感じます。
>共謀することじゃないでしょうか?
とあった。このコメントには考えさせられた。そう、人には共謀することが必要なのだ。
その証拠に共謀罪を創設しようとしている人たちは、今まさに共謀している。人の内心の自由に踏み込もうと、共謀の真っ最中である。
こういう人たちテロを防止するためだ、国民の安全のためだ、という。そうかもしない。だが、わからない。人の内心の本当にところは誰にもわからない。ところが共謀罪という法律は、そのわからないものを一部の人間が決め付けていいというものだ。つまり、決め付けていい人間と決め付けられる人間とに分けてしまう法律なのだ。
だが、まだ法律は成立していない。現時点では、まだ我われにだって決め付ける権利がある。だから決め付ける。共謀罪創設はテロの防止などが目的ではない。その拡大解釈こそが目的だ。
共謀罪を創設しようと共謀する人々よ、あなた達は私たちのこの「決め付け」を非難できるか? 正面きっては出来まい。その批判の刃はそのまま自分たちの方へ向くことになるからだ。だからテロだの何だのと口実を設けているのだろう。けれど内心では、俺たちは決め付けてもいい人間だと考えているのだろう。そういう人間だからこそ、「格差社会なんざ、当たり前」とシレッと言えるのだろう。
私たち人間には、共謀することは必要なことだ。一人一人の力が弱い民衆にとっては尚更だ。権力を持っている奴、金の力で人を支配しようとする奴に対抗するには、まず共謀から始めなければならない。一人では出来ないことだって、連帯すればできる。連帯するには互いに意思疎通を図らなければならない。そこに法の網をかけようと思ったのだろう。
だが、権力者達は戦術を誤った。共謀罪は、共謀することの大切さを知らしめることになってしまった。ネットの中で燎原の火のように広がる反対運動を見よ。ネットとて人のつながりである。いずれネットの世界から溢れ出る。そうなったとき、権力者たちがもっとも恐れる民衆の連帯(=世論)が盛り上がるだろう。
 
 
今日はちょっとキーボードを叩く指が勢い余って、予言めいたことを書いてしまった。この予言が成就することを切実に願うものです。また予言成就の為に、「共謀罪のチラシ」を少しでも周りの人に配りたいと思います。

共謀罪チラシ1  共謀罪チラシ2
これらは、『権力に迎合したマスコミ人を忘れるな!』pantaさんが作成してくれたものだそうです。素晴らしい出来栄えに感謝します。
「共謀罪(1).pdf」をダウンロード
「共謀罪(2).pdf」をダウンロード
 
〈逆TB〉
喜八ログ「共謀罪9」
とりあえず「共謀罪----取り締まられるのは一般市民だけ?」
瀬戸智子の枕草子「分岐点」