Little Birds ― イラク 戦火の家族たち ―

Little Birds -イラク 戦火の家族たち- [DVD]
昨日は憲法記念日だった。エントリーも何かそれに相応しいものをと考えていたし、私の所属している9条の会が協賛している団体でのイベントがあったりしたので、それについて書いてみようと考えていた。けれど、やめた。とてもそれどころではない。『Little Birds ― イラク 戦火の家族たち ―』を観てしまったからである。
この『Little Birds』は、感傷的なタイトルとは裏腹に、中身には感傷的に見る余地など、ない。キツイ映画である。

これは映画か?

『Little Birds』DVDは同じ9条の会の友人から拝借した。一昨日借りて、昨日観出したのだが、観始めると嫌になってきて、最後まで見通すことができなかった。その友人とは今日会う約束だったし、DVDは他の人にも貸すということだったので、観なければ思って今朝、残りを最後まで観た。付属のDVDも観た。観終わってイベントへ出かけていったのである。そのときは別に平気だった。
さて、イベント会場に着いて会場設営の手伝いをし、一段落したのでDVDを返して、わが9条の会で『Little Birds』の上映会をやりたいとその友人が言っていたので、自分の意見を述べた。「ちょっとこの映画はキツイ。見てもらわなければならないけど、一気に全部見せるのは問題があるのではないか。途中に休憩を挟みながら何度かに分けて見せて、辛くなった人には逃げ道を与えておかないと...」なんて話をしていたら、そのときになって込み上げて来た。
友人は気がついただろうか? 私は気付かれないようにと、こみ上げてくる感情を抑えつけて話を途中で切り上げ、トイレへ行く振りをして席を離れた。そして誰もいないところで、すこし泣いた。
イベントが始まった。「けんぽうフェスタ'06」と銘打った、お祭りである。オープニングに和太鼓、続いてフォークソング、なんて具合に出し物が続いていく。もちろん、憲法九条を護ろう、戦争に反対しようというお祭りだから、その訴えもちゃんと入っているのだけど、それを今日は楽しくやろう、という趣旨なのである。
けれど私の方はと云うと、それ以来、お祭り騒ぎは上の空で、表面的には普通に人と会話はできるのだけれど、なんか心の中にシコリがあるみたいで、そのお祭りを楽しめなかった。
悲しい映画や音楽、小説は幾らもある。人はそういう作品を鑑賞するとき涙を流したりするけれども、そういう状態の人の脳波を調べてみると、出てきている波長は実は「快感の波長」だそうである。人はそういうときには、自分は悲劇的な役割りを演じている主人公なりに共鳴し、自分も悲しんでいると錯覚するけど、さにあらず。脳は喜んでいるのだ。なんとも業深いことだが、考えてみればそうかもしれない。喜んでいるからこそ、また観てみようと思うわけだ。本当にその映画鑑賞が悲しい体験だったのなら、二度と観てみようとは思うまい。だが悲劇的な作品は次から次へと生み出され、名作となると何度も上映される。繰り返し見る人も多い。私は何時もこのシーンでは涙を流すのよ、なんていつか誰かから聞いたようなセリフだ。
『Little Birds』は、そういったような芸術作品としての映画ではないと思う。体裁としては映画であることに間違いない。ただ「映画」と云ったときに期待される快感は、この映画にはない。いや、だいたいにおいてドキュメンタリー映画とはそのようなものなのか。今はちょっと、冷静に判断できない。
イベントが終わり、片づけを手伝ってだいたいひと段落着いたのを見計らって、私は早々に引き揚げてきた。その後ちょっとした打ち上げをやるという話でそれに参加したらということを云われてはいたのだが、とてもそんな気分ではなかった。早く自分の家へ帰りたかった。
自宅へ戻ると、妻は出かけていていなかった。GWで忙しくしている前の職場に差し入れを持って行っていたらしい。帰ってきて、話し込んでしまって少し遅くなったと云う。女はいつでもそうだ。
夕方の日課である2匹の飼い犬の散歩に行こうということで、リードを持ってきて準備をする。妻はいつも通りの妻だ。「いつも通り」と思ったとき、また泣けてきた。妻は不審に思ったのだろう、「どうしたの?」と訊いて来た。「出かけた先で何か、あった?」「いや、出かける前の映画がキツクて...」「ああ、そういえば何か観てたね。あんたはヘンな人だから。」
私たちの間には、いまだ子どもはいない。今、子どもが欲しいと思う。

思いのほか「元気」なイラクの人たち

「映画」は、イラク戦争開戦2日前の描写から始まる。バグダットの商店街が略奪に備えて厳重に戸締りされて行く様子。市民のアメリカに対する抗議・疑問の声。その声は日本に対しても向けられている。「ヒロシマナガサキ」という声も聞こえる。
やがて画面はアメリカによる空爆の場面へ。臨場感? ちょっとわからない。従軍記者たちの「生々しい」映像に慣らされ過ぎたか。カメラを回す取材者(監督の綿井氏)の声が、私などにはプロレスの実況中継にように聞こえてしまう。
空爆現場、病院での様子は、もうこれは悲惨としか言いようがない。これ以上、言葉が続かない...。
バクダッドに侵攻してきた米軍。たった一人で抗議する若き女性の姿。TVでも放映された、サダムの銅像を引き倒すシーン。
米兵たちの表情。取材者に問い詰められて困惑とも何とも云えないような表情を浮かべる。映像の残酷なまでの表現力。米兵の姿は卑劣だが、紛れもなく彼らも「人間」なんだということを思い知らされる。
そのあと映像は、空爆で子どもたちを失った家族の姿を追う。悲嘆に暮れているのかと思いきや、思いの他元気だ。戦火の中では落ち込んでいる余裕すらないのであろう。戦火の中と云っても、バタバタと逃げ惑うというのではない。戦火も日常生活の一部になってしまっているという感じ。これは上手く表現できない。
生き残った子どもたちは、なおさら元気である。イラクの大人たちは、その表情や身振りなどからこれは間違いなく異文化の下で暮らす外国人という印象を受けるが、子どもたちは、その顔立ちが我々と違うことを勘案に入れなければ、私たちの身の回りにいる子どもたちと何も変わらない。表情がクルクルと変わり、親に甘え、よく遊ぶ。憂いの影があるようには見えない。
それは、クラスター爆弾の破片が目に入ってしまった少女も同じだ。目が痛い、目眩がすると訴えるが、表情は決して暗いようには感じない。
ひょっとしたらこの「映画」のなかでいちばんキツイ部分は、この家族たちの表情なのかもしれない。戦火の日常の中で懸命に生きている。我々のような平和な日常で暮らす人間からみれば、むしろ励みにしなければならないような、イラクの家族たちの姿である。理性の理解ではそうなるけれども、それだけで割り切ってしまうことができない何かが、彼らの中にはある。その何かを言い表す言葉を私は持ち合わせていない。

綿井氏の視線

この「映画」は、息もつかせぬ緊迫した場面の連続というような構成ではない。むしろ淡々と戦火のイラクの姿を捉えている。ただ、映像に映し出される視線は一定している。これは監督の綿井氏の視線なのだろう。面白いことにカメラという機械は、それを扱う人の視線をよりハッキリさせるという効果を持つ。人間の視野は広く焦点のあったところ以外からの情報も拾うので、その分焦点への意識があいまいになるが、カメラは視野が狭く焦点以外のところを切り捨ててしまうからそうなるのだろう。だからこの「映画」は綿井氏の視線によるイラクの姿である。
ただこの「視線」には尋常ならざるものがあるように「感じ」る。この「感じ」は、イラクの家族たちから受ける、理性で割り切れない何かと同じ「感じ」である。だからこの「感じ」の発信源は、イラクの家族たちではなく綿井氏からのものという可能性もある。だがおそらくは、その両方であろう。イラクの家族たちからの「感じ」に綿井氏が共鳴し、それがまた綿井氏の「視線」になったのだと思う。
そのことを示す象徴的なシーンがある。「映画」の中には、イラクの病院で薬の手配のためにボランティアとして働く日本人の姿があった。彼の姿がこれまた象徴的で、イラクの人たちのような「元気」な感じではない。消耗してやつれ果てていた。義務感でのみ動いているという印象。実際、プレッシャーで精神に異常を来しかねないような言葉も出ていた。これは推測だが、綿井氏もこのボランティアの彼と同様の姿をしていたのではないか。
これは友人から聞いた話だが、『Little Birds』上映会がお隣の街であった際に、監督の綿井氏も来ていて講演を行った。観客から質問で「どうしてこのような映画を撮ることができたのか?」という質問があったらしい。これはつまり、普通ならできないだろう、という意味の質問だったのだろうが、この質問に対する綿井氏の答えは「あの状況では、そうするしかなかった」というものだったそうだ。伝聞で聞いただけだからこの判断には自信が持てないと断っておくが、おそらくこの答えは不十分なものだったろう。というのは、彼にはイラクから逃げるという選択肢があったはずだからだ。その選択肢を選んだとして、TV局との契約の問題は別として、誰も咎めるものはいなかったろう。また綿井氏はTV局との契約終了後も再度イラクを訪問している。となれば答えるべきは「なぜイラクを去らなかったか」なのだが、ここのところは綿井氏自身もハッキリとした答えを持っていないのかもしれない。

「国」「家族」「孤独」

それにしても気なるのは、同じイラクにいた綿井氏やボランティア氏とイラク国民たちの「元気」度の違いである。戦争被害の当事者たるイラク人よりも、逃げる場所のある外国人の方がよほど「元気」でいられそうなものだが、どうも違うようだ。考えてみるに、これは「家族といる」ということと「独りでいる」ということの差ではないか。同じ視線を共有しても「元気」に差が出る原因は、ここにあるような気がして仕方がない。そしてさらにもう一つ、考えるべきは「国と共にいる」米兵たちの姿である。
イラク国民もアメリカ侵攻以前、サダム・フセインが政権を握っていたときには「国と共にいた」。「国と共にいた」時のイラク人たちは、サダム・フセインの支持率が100%といった「国」だった。その支持率をもとに、隣国イランと8年間にもわたって戦争を継続してきた。ところがアメリカにより「国」が崩壊してしまう。100%だったはずの支持率はどうなってしまったか。サダムの銅像を引き倒したのはアメリカ軍の車両だったが、多くのイラク人もそこへ参加したのである。
もう一度、「映画」に映し出された米兵たちの姿を思い起こす。いや、米兵たちだけではない。サマワに救援活動に来ていた日本の自衛隊員たちも同様だ。彼らはTVカメラの前で「国の大義名分」を語った。けれど映像から読み取れるのは、「国の大義名分」を語っている彼ら自身が心底それを信奉しているわけではない、ということだ。だから彼らも「国と共にいる」にもかかわらず、実は孤独なのである。
イラン戦争のなかで精神に変調を来たす米兵は多くの数に上ると聞く。イラクの人たちの中にだって精神がおかしくなる人もいようが、「映画」を見る限りではその割合は米兵よりもずっと少なそうだ。戦争という環境において受けるプレッシャーは、武器を持つ者と銃口を向けられている者とどちらが大きいか? そんなことは云うまでもなかろう。にもかかわらず「正常でいる者」と「異常を来たす者」の比率が逆転してしまう、その原因は何か? その原因を追究する先に平和だとか幸福だとか、人間が求めてやまないものの本質があるような気がする。

追記

この「映画」は、他にもさまざなに考えるべき課題を提供してくれたように思う。
例えば日本との終戦時との比較。今のイラクの人たちの状態(特に心理的なもの)とかつての日本人のそれとは同じなのか、違っているのか。違っているとすれば、何がどう違うのか。戦争放棄憲法イラクの人たちは受け入れるか。もしくは、どういう条件が整えば受け入れることができるのか。
平和を訴えるものとしての「芸術」の役割り。芸術なんていうと高尚で難解なものというイメージで捉えられるかもしれないけれど、そればかりではなくて、ここでいう「芸術」とは「芸能」、ポップスターを今はアーティストと呼ぶけれども、その今の意味でのアートという意味。もっと具体的に云うと、「IMAGINE」とか「We Are the World」みたいな歌を含めたもの、そういったものが本当に平和を築くのに役に立つか。
まだ他にもいろいろありそうだが、これらの課題はまた別の機会に挑戦してみたい。