とある地方紙より

私が購読している唯一の新聞である「紀伊民報」の5月3日付掲載記事のことについて触れてみたい。
その前に、「紀伊民報」という地方紙が唯一の購読紙であることについての事情を少し説明すると、この新聞だけが我が家まで配達してくれる新聞だからだ。いや、この新聞だけ、というのは正確ではない。他にも2紙ある。「聖教新聞」と「赤旗」である。あ、そういや「赤旗」も取っていたっけ。日曜版だけど。まあ、けど、これは正直、付き合いです。付き合いとはいうものの「赤旗」も読んでみると面白い。日曜版から通常版にバージョン・アップしようかと思いもするのだが、我が家の大蔵大臣のご意向もあって...。
全国紙は町の新聞配達店にまで行けば、手に入る。わが町のような過疎地域では配達できない地域があるのは致し方がないと思うのだが、腹が立つのがその価格である。配達があろうがなかろうが、価格は同じなのである。フザケタ話だ。それでヘソを曲げて、全国紙は購読していない。新聞紙上に掲載されるような情報の収集はネットでかなりカバーできるし、私のような一般人が全国紙を隅から隅まで目を通さなければならない理由もない。そして再度、大蔵大臣の意向についても触れておく。

田辺市合併1年 「伝えたい 町、村の思い」

【2006年5月3日付掲載記事】
 「町よ村よ」の連載で、1年前に合併した田辺市の旧町村部を取材班4人がルポし、住民の声に触れた感想を伝えたい。

 旧中辺路町の水道料金問題を取材したのは入社2年目の記者。旧市町村の料金や制度を一律にすることが、本当の意味で「平等」といえるのか、考えさせられた。

 多くの人が自家用の野菜を栽培し、生活を切りつめていた。病院に通うのは1日がかり。バスを利用すれば往復3000円はかかるという。山村の暮らしは、割引セールが日常になり、コンビニがあるのが当たり前になっている自身の生活とあまりに違っていた。

 60代の一人暮らしの女性の言葉が忘れられない。「市は何も分かってくれない。町や村同士の合併なら、お互いの暮らしを分かり合えたろうに」。1年間の記者生活で、これほど切実な声と厳しい表情に接したのは初めてだった。

 田辺生まれ田辺育ちの中堅記者は昨年末まで、旧龍神村を担当していた。しかし、市民の一人として、合併の実感はなかった。旧村内の40代女性に「田辺の人は『龍神も田辺になったんか。えらい広なったもんやなあ』という。あんたもその程度の実感やろ」といわれた言葉が、胸に痛かった。

 取材で取り上げた修学旅行の期間短縮計画は、合併とは関係なく決まったことだった。だから、合併にからめて取り上げることには迷いがあった。答えを探して地域を回り、話を聞くうちに、保護者が署名活動に走り、計画の撤回に追い込んだ背景が見えてきた。

 旧本宮町の過疎問題に取り組んだ記者はふだん、田辺市記者クラブを取材の拠点にしている。連載を終えた後、自身の取材活動を振り返り「いつも市当局から話を聞くのが中心で、町村部に出ることは少なかった」と反省する。

 大塔村の70代男性は「合併前、役場からとにかく地方交付税が減るから合併せなあかん、とだけ聞いた。でも、自分らの生活がどうなるかの説明はなかった」と語る。その言葉が胸に刺さった。この先、時間をかけ取り組むべき宿題をもらった気がしたという。

 別の中堅記者は田辺広域合併協議会のヤマ場を取材した後、県庁詰めとなり、2年ぶりに田辺に戻ってきた。しばらく、自分の中では空白となっていた「合併問題」がいま、地域の中で新たな問題となっているのを知って驚いた。

 「過疎化に拍車がかかる」「地域の声が届かなくなる」と不安を訴える周辺町村と、財政効率化を進める田辺市。地域審議会や行政サービスの調整をめぐる、あの熱のこもったせめぎ合いは一体何だったのか。過疎地の現実に直面して、取材当時の議論が「机上の議論」に思えてきた。

 合併協議で中心的な役割を果たした市幹部とベテラン議員は「合併したことの成果はあるが、マイナス面はほとんどない」という。その具体例の一つとして、合併特例債を使った旧町村部のケーブルテレビ事業の予算化を挙げた。

 そういう行政側の言い分は役所にいても、すぐ聞ける。けれども、住民の声はなかなか聞こえない。市域が広くなれば、その弊害も大きくなる。そのことを胸に刻んで、今後とも住民の言葉にならない思いを伝えていきたい。(U)

今日、触れたい記事がこれ。当エントリーが5月2日なのに新聞記事が5月3日付となっているのは、紀伊民報が夕刊紙だから。前日の夕方に配達される新聞。それとこの記事は紀伊民報社のHPでも見ることができる
記事内容は、なんてことはない。「町よ村よ」の連載(と云っても4回)記事も、なんてことはないものだった。市町村合併で行政が「効率化」され、しわ寄せが来た過疎地の問題を取り上げたものだった。

「この状況だからこそ、マスメディアを叱咤激励しよう」

けれど、この記事をほめてみようと思ったのである。そう思ったには下地があって、その下地を作ったのが華氏451度さんの4月24日のエントリーだった。
華氏さん451度さんの云う「この状況」とは、共謀罪が国会で創設されようとしている状況のことだ。この状況において「重要なことをマス・メディアがほとんど報道しない」と怒るのではなくて、この状況だからこそマスメディアを叱咤激励しようというもので、逆転の発想と云うか、愛の視点と云うか、とにかくこの記事のお陰で「メディアは批判するもの」という狭い了見から脱することができた。要は、メディアに携わっている人たちだって、同じ人間だということだ。
そんなことがあったものだから、上の記事も批判せずに、激励の声を届けてみようとおもったのである。で、こんなのを書いて送った。

紀伊民報 編集部御中

5月3日付掲載記事 「「論」 田辺市合併1年 伝えたい町、村の思い」への感想
私は旧本宮町に住む一読者です。上記記事を拝読しての所感を述べさせていただきたく、メールを送付いたします。

正直申しまして、「町よ村よ」の連載記事にはあまり感心しませんでした。既成事実の追認の記事だな、くらいの感想でした。
市町村合併で過疎地にしわ寄せが来るのは、行政がなんと云おうと、当然のことです。合併の協議過程においては「行政の効率化」という言葉が良く聞かれました。効率化とは聞こえのよい言葉ですが、少ない費用でより多くの人に行政の効果を挙げようとすると、勢い、その施策は人口密集地へのものとなる。過疎地への施策は効率が悪いのです。行政が財政の事情等から合併を余儀なくされたという経緯からすれば、連載に取り上げられたような問題が過疎地に発生するのは、当然の成り行きであって、特段驚くことでもなかった。だから「既成事実の追認」、もっと悪意に取れば「ガス抜き」記事か、という程度の感想でした。
ところが5月3日付け掲載の「論」を読んで、その感想が間違っていたことに気が付きました。「論」には、「町よ村よ」の連載記事が書かれた出発点が述べられていました。私はその出発点を誤解していました。「伝えたい 町、村の思い」の意欲に、大いに期待します。
ですが、一つだけ指摘させてもらわなければならない点があります。「住民の声はなかなか聞こえない」というのは違います。それはあなた方が聞こうとしなかっただけです。私たち住民は、あなたたちメディアや行政と違って「声」を発信する手段を持たないだけです。発信する手段を持つあなた方が聴いてくれるのであれば、私たちの声は届くはずです。

現在、IT技術が加速度的に発達してきています。「論」にもあったケーブルテレビに付随するインターネット回線で、この「所感」も送付します。私たちの情報収集は、もう「新聞」というメディアに頼らなくてよい時代になりつつありますし、現に、私自身の情報収集活動の多くはインターネットによるものです。中央の情報についてはそれで十分ですし、地方はまだまだ発信量が少ないですけれど、これは普及の時間の問題であって、早晩、地方の情報も十分に発信されるようになるでしょう。 「発信される」情報を集めるだけなら、もう新聞は必要なくなります。

新聞のこれからの役割りは、問い掛けなければ集まらない情報を掘り起こすことにあるのではないでしょうか。地方紙であるならば住民の声はその筆頭です。行政に携わる人間や企業内部の人たちの本音を探り出すということなども、そうでしょう。このようなことはこれまでも取り上げられてきたでしょうが、これからますます重要になっていくと思います。新聞がそうなっていかないのなら、読者にとって新聞購読の対価と集められる情報の価値とが釣り合わなくなって行きます。

これも正直なところを申し述べますと、とあるきっかけで始まり惰性で続いている紀伊民報の購読は、いつ止めようかとタイミングをはかっていたようなものでした。けれど今回の記事で、惰性ではなく積極的に紀伊民報を読んでみようと思うようになりました。今後の紀伊民報に期待します。

華氏451度さん、これでいいでしょうか? 叱咤激励になってますか?
「今後とも住民の言葉にならない思いを伝えていきたい」としてあるのを、バカ野郎、そんなことに今頃気が付きやがって、と毒づくのではなく、素直に受け止めて、そうそう、だからこれからもガンバッテくださいね、と声を掛ければいいのですよね。同じ記事を読むにしたって、受け手の意識でこうもアウトプットが変わってしまう。華氏451度さんに教えていただきました。ありがとうございます。

過疎地のこれから

共謀罪に関しては私も全国紙に、購読者でないにもかかわらず、メールを送ったりはした。けれど、なんて云えばいいか、切迫感がないわけではないのだけれど、まだまだピンと来ないところがあって、全国紙に送ったメールは「もっと共謀罪のことについて報道してください」みたいなお願いになってしまって、どうも叱咤激励というところまで行かなかったように思う。問題が大きいと、なかなか皮膚感覚にはならないのですね。
そういう点では、私にとって過疎地域の問題は皮膚感覚の問題である。お葬式があるたび、自分がその葬式に出る出ないにかかわらず、また一つ、地域が崩壊した、とそう感じてしまう。そういう地域だからこそ、都市部よりもずっと行政への密着感が高い。それを「効率化」されてしまうと、そのまま地域崩壊に直結してしまう。
だが、私は、こういう状況にひそかに期待を持っている。行政には頼れないと多くの地域住民が悟れば、また別の展開が生まれてこよう。それこそが「本当の自治ではないか、と思う。産みの苦しみは大きかろう。その苦しみに耐え切れず、崩壊を早めるだけという結果になってしまうかもしれない。だけれども、期待してみるだけの価値はあると思う。