9月11日衆議院選挙

選挙はよくわからない。政党や候補者はいろいろと政策や公約を掲げてご立派なことを宣うのは毎度のことだが、何を聞いても今ひとつ信用する気になれない。どうにも嘘っぽい。
それだもんで、いつも選挙の時には誰に投票するのか、悩んでしまうことになる。どの政党・どの候補者もこの人を選ぼうという決め手に欠け、いつも棄権という選択肢が筆頭であったりする。ま、田舎に越してきてからは、選挙に行かないというとご近所の手前具合が悪いというようなところもあるし、お世話になっている人からこの候補者をと頼まれると、まあ、仕方ないかと、はなはだ消極的な理由で投票をしたりしていた。要するに、その程度の関心しかなかったわけだ。
が、今回の選挙は違う。今回に限っては、自らの投票行動を決定づける大きな理由がある。この理由は肯定的なものではない。積極的ではあるが否定的なもの、つまり、コイツらだけは信用ならん、当選させてはならない、という思いなのだ。
 
小泉自民党。コヤツらだけはどうにも信用ならないのだ。とにかく小泉は嘘つきだとしか思えない。いや、政治家なんて、全員とは言わないが、ほぼ皆、嘘つきだ。何が嘘つきかというと選挙の時には、皆さんのために一生懸命やります、なんてカッコのいいことを言うくせに、当選の暁には自らの利益が第一。そんなヤツラばっかり。そのいい例が議員年金ね。今回の選挙で誰も何にも言わない。メディアだって追求しない。ほんと、嘘つきばっかり。
揃いも揃ってそんなやつらばかりなのだが、そのなかでも小泉は特別だ。嘘つきの政治家どもも、何かしらどこかに自分が嘘つきだという自覚はあるのか、一応、嘘を追及されると言い訳をするのだけど、小泉は違う。開き直る。嘘をついて何が悪いのか、と。
いつだったか「公約なんてたいしたことない」なんて、言ってましたよね。確か国債の発行額を20兆円だが30兆円だかに抑えると公約して、果たせなかったとき。2年位前になるのかな。これがいちばん象徴的だと思うが、こいつの言うことは大体この調子だ。たいていの政治家は公約なんて守らないし、また、守りたくても大風呂敷を広げすぎて守れないのだろうが、けど、たいしたことない、とまで断言したヤツはいないのではないか?
 
郵政民営化が今回の選挙の争点だと、小泉自民党は主張する。民主党なんかは年金。社民党憲法9条共産党は? ま、なんでもいいや。各政党、いろいろと力説なさるが、よくわからない。けれど、わかるわけもないでしょう。勉強してみるのも悪くはないかもしれないけれど、それで本当に果たしてどこまでわかるのか。各政策の専門家の意見もバラバラだったりするものを、素人が的確な判断を下せるわけがない。今の時代、新聞やらネットやら、情報・意見を集める手段は発達しているけど、いくら情報を集めたとて、それを判断する基準がないことにはどうしようもない。とどのつまり、誰の言うことを信用するか、誰が尤もらしいことを言っているのか、“適当に”判断するしかない。少なくとも私にはそれしか出来ない。結局、誰かを信用するしか方法がないわけだ。議会制民主主義っなんてのが、そもそもそういうものだってことでしょう。
無党派層というけれど、この人たちは私も含めて、どの候補者も政党も信用できない人たちということではないのか。政治には無関心って人も多いだろうけども。けど、誰も信用できないというのも寂しいものがありますよ。
 
政治家にとって一番大切なのは選挙民の「信用・信頼」のはず。ところが小泉にとってはそんなのは屁の河童だ。だから「公約なんてたいしたことない」なんて言えるんだろう。では、この人の拠所は何かといえば「人気」なんだろうね。
小泉のスゴイところは、この人、制度を支えている理念から全く自由でいられるところ。今度の衆議院解散なんかも、そうでしょう。参議院で法案を否決されたからといって、衆議院解散なんて筋違いもいいとこ。だから「理念」にとらわれていたフツーの政治家や評論家なんかは解散なんかできっこない、と思っていた。ところがどっこい、解散できてしまうんだよね。それが総理大臣の権限だから。ここで明らかになったのはこの「権限」と「理念」には実は何の関係もなかったということだ。それを小泉がバラしてしまったのね。しかも、衆議院選挙の勝敗ラインが与党で過半数だって。メディアも追求しないが、郵政民営化法案を参院否決で衆議院で再可決するには3分の2以上の賛成が必要なわけだから、選挙の勝敗ラインも3分の2以上とするのが、スジでしょう? けどこの人にはスジなんて関係なしだ。
選挙運動でも小泉の自由人ぶりが如何なく発揮されている。郵政民営化なんて、体裁を取り繕っているけれども、結局は人気とりのパフォーマンスでしょう。選挙というシステムは選挙民の「信用・信頼」を前提にしたもののはずが、小泉にかかると「人気」投票だ。これまでだってその傾向はあったけど、小泉は何のためらいもなくその先頭を突っ走る。信用・信頼獲得の選挙であろうが人気投票であろうが投票は投票だ。その結果で権力の所在が決まってしまう。それが制度というものの偽りのない実体なんですね。
 
ここのところのメディアの報道では、小泉・自民党が圧け勝の勢いだそうな。ホンマかいな、と思わなくはないが、選挙を人気投票と割り切り突っ走る自由人・小泉の作戦が当たっているということなのだろう。お見事。
けれど、ほんとにそれでいいのか? 小泉の自由、理念からの自由というのは政治家の責任からも自由ということ、つまり無責任だということだ。そんな人間に権限を渡して、その自由の責任は誰が取ることになるのだろう? 純サマのためならどうなってもいい、という人はいいかもれないが、私は嫌だな。
  
今回の選挙、否定的ながら投票すべき積極的な理由を見出しえたことを、喜んでいいのか、悲しんでいいのか... やっぱり、この人! っていう人に一票入れてみたいな、と思うのだけれども...