労災問題

さて、昨日の話の続き。
 
今日は図らずも休みとなってしまい、せっかく休みになったからということで、
ケガの消毒をしてもらいに近所の診療所へ行ってみた。
一応、昨日処置してもらった医者からは近所で診てもらったほうがよかろうということで、紹介状をもらっていたし。
ところが、今日行った診療所の受付でのやり取りで「仕事でケガをしたのか」と問われ、
うっかり「ハイ」と答えてしまったのがいけなかった。
 
なんでも正直が良いという、子供への道徳のお時間ならこの「ハイ」が正解なのだが、
ちょっと込み入った大人の世界ではこれが必ずしも正解にならない、という場合が少なくない。
このケースがまさしくそれ。
さて、私の「ハイ」を聞いてしまった受付係のお嬢さんは、私の差し出した国民健康保険証を押し戻して、
「仕事でケガをなされた場合は、労災で処置しなければならないことになってます」とおっしゃった。
失敗した、と感じつつも私は、持参した紹介状を示しつつ、昨日の経緯を説明した。
けれど、彼女は「仕事上のケガと聞いてしまった以上は、労災にして頂かなければなりません」と言い、
昨日は健康保険で処理したが、どうすればよいのかと尋ねると、その手続きは後日でよいと断りつつ、
「会社から労災の書類をもらい、昨日処置した医院でも労災として処置し直してもらうようにしてください」とお答え。
「聞かなかったことにしてくれないの?」という私の問いかけには答えてくれませんでした。
 
いや、彼女は全面的に正しい。先ほど言った「子供の道徳」なんて意味じゃなく、社会的にも彼女は正しい。
ただ、今回に限り、私にとっては正しくなかった。
ここで断っておくが、あくまで「私にとって」である。「会社にとって」ではない。
現に昨日会社に連絡を取った際、会社からは労災で処置するように、とは言われた。
「労災隠し」がときどき報道され問題になるが、それとは違う。
「私の都合で」健康保険で処置したのだ。この私の都合は本来のルールでは違反であるのは承知の上で、
昨日は「仕事上かどうか」聞かれなかったのを良いことに(なぜ聞かなかったのか、は知らない)、労災にはしなかった。
 
仕方がないので私は、「そんなの面倒なので、もう結構です」と答えて、ケガの処置をしてもらうのを諦めた。
私にはそれが一番都合のよい選択だったのでそうしたわけだが、対応してくれた彼女は不愉快だったと思う。
 
ここでなぜ、「仕事上での負傷にもかかわらず、労災でないことが私にとって都合がよいのか」を説明しなけれならない。
正直に告白するが、これは全く自分勝手なことが理由である。
会社に迷惑をかけるから(少しはあるかもしれない)とか、
手続きが面倒(これはおおいにある)とかが主な理由ではない。
理由は私の内側の問題、矜持などと言うにはレベルが低すぎる、概ねそういう領域の問題なのだ。
簡単に言うと、ケガをするのは樵としては恥、だから労災を使うのはイヤ、なのである。
これが全く身勝手なのは、では、何日も休まなければならない大怪我を負ったときでも労災は使わないのか、
といわれると、答えは否、であることからもわかる。
それでは筋は通らないと我ながら思いはするが、背に腹を換えられぬときには致し方ない。
そんなときは労災でなければとってもじゃないけど、やっていけない。
ただ今回は、「やっていける」から労災イヤなのである。ああ、身勝手。
 
身勝手で筋が通らぬとは承知しつつも、「ケガは恥」というところにこだわりたい、と思う。
「恥は恥として、ケガは労災でやってもらえば治療費は自己負担しなくて済むし」なんて
合理的に考えようと思わなくもないのだが、
だがおそらくそんなふうにしてしまうと、山仕事に対するモチベーションが持続しないような気がする。
もともとキツイばかりで稼ぎの少ない山仕事をやっているのは合理的な理由があるからではない。
山仕事をやっているという不合理、けれどそれは私にとっては大切で、そして好きな不合理で、
そして「ケガは恥」へのこだわりは、その不合理を形成している重要な一部分なのである。