細木数子

この人の人気はいまだ衰えていないみたい。
今日たまたま、テレビをつけていたら細木数子が喋っていた。
この人の占いについては、よく当たるのだか当たらないのだか、知らないし興味もないが、
ときどきテレビで見聞きする話にはまっとうなことを言っていると感じることが多い。
 
今日、細木数子が喋っていたのは、悪いことをしでかしたりした子供なんかを
いかにして更生させるかということについて。
彼女が言うには、地域社会でサポートせよ、と。
保護観察員という制度も存在はしているのだが、このようなものでは役に立たない、と。
個人の力ではなかなか及ばないものがある、と。
 
全くその通りだと思う。
どうしてその通りだと思うのか、まだまだ自分のなかで整理できていないのが、
漠然と感じるのは、この世の中、個人の力ではなかなか対処が難しいことが多すぎる、ということ。
いやいや、ちょっと違う。
どのようなことでも自分の力で対処できる人は存在する。
法に通じ、世事に通じ、自分の頭で考えることが出来、また専門家を使いこなせる人。
そしてそれなりの経済力――これがないと始まらない――を持っている人。
こんな人が存在することは間違いない。
しかし、多くはない。そして、皆々がそのようになれるとも思えない。
 
ではどうすれば?
自分の力で対処できない人は、諦めるしかないのか、泣き寝入りするしかないのか。
「自己責任」という言葉が最近流行であるが、やっぱりこれが正しいのか。
私には、どうしてもそうは思えないのだ。
 
その対処法として考えられるのが、
ひとりで対処できないことは地域で、コミュニティで対処しようということで、
これは細木数子が言ったことと重なってくるわけなのだが...
しかしこんなこと、今の社会の現実を見てみると、到底できそうには思えない。
皆々、自分のことだけで目いっぱいで...
 
けれど、こんなことを思ったりもする。
皆々、自分のことだけで目いっぱいという状況に、ぼちぼち疲れてきたのではないか?
自己責任が問われる競争社会、つねに走り続けていないと落ちこぼれていく。息をつく間もない。
そんな世の中だから、「癒し」なんてのがもてはやされたりする。
けれど所詮は、「癒し」なんてのはその場しのぎの対症療法でしかないのだ。
どこかで立ち止まって、足元を見つめ直さなければ...。
 
細木数子から随分と話が飛んでいってしまった。
いずれにせよ、何の根拠もない、ほんのたわごとでしかないのだが...、