源流学の森作り
本日の源流学の森作り、大変有意義なものでした。
収穫がいっぱいありました、ほんと。
採りたての山菜のテンプラも美味しかったし、
私なんかには慣れてしまって新鮮さが失われつつある間伐も、
みんなが喜んでくれたことを確認して、
自分もなんだか新鮮な気分を味わったような気がします。
でも、最大の収穫は「人」なのです。
私はいつも「人」が一番の関心事です。
自然だって大好きなつもりですが、それよりも人間。
今日の、私にとっての一番の収穫は達っちゃんでした。
達ちゃんに会ったのは今日が初めてではありません。
先日の集いでも指導してもらいましたし、それ以前にもお会いしてます。
今日、驚かされたのは、お昼をいただいた後の達っちゃんのお話。
かなり唐突に環境問題の話が始まりました。
どこかなにかおかしい。自然がおかしい。人もおかしくなっている。
そんなお話でした。
こんな書き方をしてしまうと、何に驚かされたのかわかりませんね。
環境問題なんて、いろんな人が話題にしますし。
川には魚がいなくなり、植物たちの成長のリズムもおかしくなっている。
達っちゃんはそんなことを肌で感じ取って識っているのでしょう。
地球温暖化なんて話は、達ちゃんにとってもどこかで仕入れた知識でしょうが、
その話に結びつけていく過程の階段は、達っちゃんが自分で感じ取っていることなのでした。
だから、唐突に始まった感じのお話に、食後で満ち足りた気持ちでいたにもかからず、
私はまったく違和感を憶えなかったのでした。
もし、私があの場でそんな話を始めたら?
ぜったいに、達っちゃんのようにはいきません。
私はあのときに、環境問題について話をしようと思いました。いや、少し何か言ったかもしれません。
けれど、私の言えることはどこかで聞いてきたようなことしか言えないのです。
頭の中の知識として知っているかもしれないが、達っちゃんのように肌で感じて識っているのではありません。
もし私が言ったとしても、なんだか場違いのように響くことにしかならないでしょう。
だから黙って聞いている以外になかったのです。
それにしても、川上に出かけていくと、このような収穫にたびたび巡り合います。
一番最初に訪れた「歴史の証人」のときもそうでした。
あの時も私にとって最大の収穫は日本最古の人工林よりも、杉本のおっちゃんでした。
おっちゃんのお話も、ご自分が識っておられることでした。
人こそ宝です。
もちろん貴重な自然だって宝ですよ。
でもそれ以前に、宝を宝とする心とそれを識っている人こそ、宝です。
源流学の森から帰ってきて、そんなことを考えていました。