欽ちゃん球団解散〜欽ちゃんの決意を讃える

欽ちゃん泣いた:茨城GG解散へ

 お笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭一(38)が少女に酒を飲ませ、みだらな行為に及んだ不祥事が、思わぬ波紋を広げた。山本が所属する社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ(GG)」を率いるタレントの萩本欽一(65)が19日、都内で会見し「チームの解散」を電撃発表。時期については明言を避け、球団関係者も解散は防ぎたいと含みを持たせたが、萩本の決断は固い。野球界活性化に貢献した人気球団だけに各方面に衝撃が走った。

このニュースに接したとき、なぜかとても嬉しかった。欽ちゃんの決断を高く高く評価したいと思った。その理由について触れてみたい。
 
欽ちゃんの決断については賛否両論分かれると思う。批判とまではいかなくても「そこまですることはないのでは」という意見は出ているし、球団存続に向けての署名運動なんかも開始されたと聞く。
 
犯罪は個人の行為であり、球団には何の責任もない。故に球団を解散させる必要もない。むしろ球団を解散させることで各方面に迷惑をかける...。とてもわかりやすい論理だ。わかりやすい論理というよりも、わかりやすい論理になってしまった、と云った方がよいだろうか? こういう論理、ではなくて論理の出発点は、今や私たちには馴染みのものになってしまっている。
 
この論理に納得する者は、一人一人の人格を独立したものだと考えいる。だから球団と山本何某も別の分離したものだと考え、山本何某の犯した責任は球団にまで及ぶことはない、と考えるのである。これはこれでスジの通ったものだし、この論理に批判を加えるつもりはない。
だが欽ちゃんはそうは考えなかったようだ。山本何某と球団と自分とを分離して考えなかったのである。山本何某が犯罪を犯したと聞いた後も、彼を分離しなかった。だから球団を解散させる決断に至ったのだと思う。
欽ちゃんとて、球団に責任があると考えているわけではないと思う。責任論でいけば球団は無罪だ。欽ちゃんの思考経路はそんな道筋を辿ったのではなくて、山本何某を排除せねばならなくなった球団は、もうこれは欽ちゃん球団ではないと感じたのだと思う。選手の管理責任云々ではない。
この事件を受け、欽ちゃん球団には山本何某を受け入れる余地がなくなってしまった。欽ちゃんや他の者の意志に関係なく、もう山本何某を排除する以外に道はない。つまり自己決定権を奪われてしまった。オーナーである欽ちゃん以上の意志が球団のあり方を決定してしまう。もはや野球が好きで集まっただけ、とはいえなくなってしまった。欽ちゃんにはこれが絶えられなかったのではないか。
 
欽ちゃんの決定は、ある意味ではワガママである。その決定は他のものに影響を及ぼす。他の選手、対戦相手の球団、応援してくれている地元...。欽ちゃんとて、そんなことは十分承知してると思う。だが、欽チャンは欽ちゃん球団を創設した原点を何より大切にしたのだと思う。周りの者は、そこを十分汲んでやる必要がある。
そして、その欽ちゃんの意志を充分汲んだのであるなら、取るべき行動は見えてくるのではないか。それは欽ちゃん球団を存続させることではない。欽ちゃん球団は解散した上で、もう一度原点に立ち戻って、球団の創設をやり直すのである。その球団に欽ちゃんはいないかもしれないが。
 
私は、こういう欽ちゃんの行為を指して「志に殉ずる」と云うのだと思う。バカバカしいほどに純であるが、周囲の利害関係を優先して球団存続を図るよりもよほど素晴らしいことだと思う。全てが利害関係によって動かされるようになってしまった今の世の中においては、尚更だ。欽チャンは利害よりも「野球が好きで集まった」という志を優先したのである。
  
私は欽ちゃんの決意を讃えると同時に、利害を重視するあまり荒んでしまった今の日本の社会に投げかける大きな一石になることを望む。そして、このような欽ちゃんのワガママを余裕を持って受容できるような社会になることを望む。