UTS【日本の国防について】アンケート場外戦

Under the Sunにて、7月13日から【日本の国防について】と題してアンケートが行われている。
 
質問:あなたが考える、この先、日本がとるべき国防の方向は?
 
1.非武装をすすめ、他国から侵略されても抵抗をすべきではない
2.他国から侵攻は防衛しても、攻撃はおこなうべきではない
3.専守防衛は現在でも可能なので、現状を変更する必要はない
4.武装を強化し、専守防衛に徹すべし
5.武装強化・憲法改正をおこない、専守防衛に徹すべし
6.日本にとって危険な国に対しては、先制攻撃を加えるべき
7.核兵器の開発までふくめ、軍事力を増大していく必要がある
8.その他
 
7月21日0:00の締め切りまでに何らかの回答をしたいと思っているのだけど、その前に、このアンケートを巡って場外戦が展開されていて、そちらが大変興味深いので、アンケートに答える前に場外戦について、少し触れさせていただく。
 
まず、場外戦の展開については華氏451度さんのコチラのエントリーをご覧あれ(手抜きで申し訳ありません。でも、私が書くより華氏さんが書いたものの方がずっとわかりよいです)。
 
事の発端は拙ブログにも度々コメントを頂く布引洋さんで、布引さんが華氏さんやアルバイシンの丘さんへ寄せられたコメントを読んで、私もしばらく考えていた。布引さんのコメントは誠に当を得ていると思うのだけれど、私は思うに、発案者の発掘屋さんの意図は布引さんが危険と指摘したまさにその点にあったのではないか、つまりその危険性を逆用して、2ちゃんねる用語でいうところの「釣り」をしようとしたのではないか、そんなふうに思うのである。
この点には布引さんも思い至っているようで、アルバイシンの丘さんに寄せられたコメントに
>UTCは親切にも、模範解答を出来るようにアンケートを考え付いたのかも知れません。
と書いておられる。ここでいう模範解答とは「漫画で武装した軍事オタクのネットウヨ」への攻撃に対する模範解答である(現時点では残念ながら、模範解答を作成するための資料となるようなTBは寄せられてないようだ)。
 
このように考えたのは次のような理由からである。まず、発掘屋さんの他の記事を読んでみるに、その主張は「読売新聞的」なものからかけ離れていると思われること。わざわざ「日本の国防」などという、その筋の人たちを刺激しそうなタイトルをつけていること。そして軍備増強の方向への選択肢が細分化されていること。以上のことから、軍備増強派のTBを期待したこと、そのTBの意見にそのまま賛意を示すつもりではないこと、が読み取れると考えるのだ。
 
もう少し掘下げて考えてみる。実は私は、このアンケートに対する布引さんの指摘に違和感を感じたのだ。どこに違和感を感じたかというと、「非常に悪質です」という文言。この文言がなければ恐らくこのエントリーを書くことはなかっただろう。
上にも書いてあるとおり、布引さんの主張は当を得ている。布引さんの論理に従って思考を進めると「非常に悪質」という結論に導かれることになる。けれど私は、正直に告白するが、「非常に悪質」とは考えたくなかった。だから「非常に悪質」という結論に陥らない理由を探した。それが上記の理由なのである。
 
今、「理由を探した」と書いたが、私が探した方法は、布引さんの論理の破綻を見つけ、その破綻ゆえに「非常に悪質」とは言えない、と結論付けるという方法ではない。私の組み立てた論理は、実は布引さんの論理そのままである。ただ出発点をひっくり返しただけだ。そしてそれだけのことで、導き出される結論は180度違うものになる(繰り返すが、布引さんはそのことに気がついておられる)。
 
ただ私は信じたかっただけだ。UTSの名で行うアンケートが「悪質な意図」をもって為されたものではないということを。認識が浅かったという可能性も捨てきれない。もちろん、悪質な意図があった可能性も、だ。しかし、論理はその意図までも明らかにすることはない。論理のその先は、ヴィトゲンシュタインが言ったように沈黙するしかないのだけど、実は私たちはその「沈黙するしかない」世界の中で生きているのである。論理は後付の理由でしかない。
 
念のために記しておくが、私は布引さんが「非常に悪質です」と断言したことを悪質だと考えているわけではない。これは布引さんが布引さんの感覚に基づいて発言されたことであるわけで、それをまた悪質と断言することは、これまた悪なのである。これは忌むべき悪の連鎖である。
ただひとつ、偉そうなことを言わせてもらえば、何かを「悪」と断定するのは、よほど慎重に掛からなければダメだということ。同じ論理も見方次第で善にも悪にもなりうる。片方の視線で「悪」と断定された場合、同じ論理で「善」と断定する者とは接点を見い出すことが出来ない。違う出発点から同じ方向性を持って進むことになるので、文字通り「平行線」になってしまう。
 
Under the Sunの試みの眼目はこの点にあるのではないかと思う。つまり「平行線」にならない、ということ。Under the Sunはいろいろな人がそれぞれの視点から発言する場であり、その発言の「論理」を批評するのではなくて、発言の出発点を発見する場所なのである。そしてまた、この見方も私の視点での発言に過ぎないのだけれど、でも、なるべく多くの人に賛同してもらいたいと思う。Under the Sunは賛同と共感を求める場でもある。