田園交響曲

gushoukuuron2005-05-14

私がクラシック音楽を聴き始めたのは、
中学校にあがった頃だったろうか。
もともと歌は好きであったのだが、
それが何ゆえにクラシックを嗜好するようになっていったのか、
よくわからない。
ピアノとかヴァイオリンとか、特に音楽を習っていたということもない。
ベートーヴェンとかバッハとかが偉いように思えたから、つまりは権威主義者であったからかもしれないが、
おそらくは偶然だろう。
 
いや、権威主義者という側面はあったかもしれない。
クラシックを聴き始めてそれにのめり込んでいった頃は、それ以外の音楽はバカにして関心がなかったからね。
 
で、田園交響曲である。ベートーヴェン作曲、交響曲第6番ヘ長調作品68、『田園』。
私が最初に購入したレコード(当時はLP)がこれである。
演奏はハンス=シュミット・イッセルシュテット指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
この頃は演奏家のことなど何も知らなかったから、この演奏を選んだの理由は
ジャケットがミレーの『落ち穂拾い』の絵になっていたから。他のはオッサンの写真ばっかり。
 
これは今でも大好きな音楽だ。聴き始めた頃からそれは変わらない。
昔よりこの音楽を聴く頻度は減ったが、それでも特別な思い入れがあることに変わりはない。
この音楽は私の感性に寄り添ってくるようなところがある。
BGM的に聞き流してもよいし、音楽の流れに耳を澄まして聴いてみても良い。
この曲は過度の神経の集中を要求してこないところが良いのだ。
 
なかでも好きなのはフィナーレ・第5楽章、『牧人の歌、嵐の後の悦ばしき感謝の情』
BGM的に聞き流していても、音楽がここに至るとどうしても耳を澄まさずにはいられない。
4楽章の嵐が去り、雲の切れ間から薄日が差すような音楽が流れていくなかで、
5楽章の穏やかなテーマがヴァイオリンの上に表われると、耳はどうしてもそちらに引き付けられてしまう。
そして、その5楽章のなかでも117小節からの部分、5楽章のテーマが三度姿を表わすところ
――喜び溢れる律動的な旋律となって――がもっともお気に入りの部分だ。
この旋律は最初はファーストヴァイオリン、次にセカンド・ヴァイオリン、そして低弦という順で奏でられていく。
そのたびごとに響きは厚さを増してゆき、音楽は高揚してゆくのだが、
ここの部分ではいつも私は、森の生き物たち――私はいつもいつも森なのだが――が、
順々に喜びの輪のなかに加わっていくというような様子を連想するのだ。
 
この田園交響曲ベートーヴェン交響曲の中では少し評価が低いようなところがあるらしい。
一般的な印象も、奇数番号の曲に比べれば地味なのは否めない。
しかし、そんなことはどうでもよい。
この音楽は私にクラシック音楽を開眼――いや、開耳――させてくれた音楽なのだから。