今日のニュースから2つ

気になったニュースで、面白いのと面白くないのとあったが、まずは面白くないほうから

民主党新代表に小沢氏選出

「豪腕」といわれる小沢氏がダメダメ民主党の党首になったからといって、特に期待しているわけではない。けれど、現実の政治の世界では小泉売国党に対抗するのはダメダメ民主党しかないわけで...。TVを見ていたら「私自身が変わる」なんて言ってたし、菅直人鳩山由紀夫とホントに協調してやっていけるなら、いいなぁ。松下政経塾の坊ちゃんたちは暫く謹慎してもらって、この3人が本当に協調してやれるのか、そこに注目でしょう。けど、もとのマンマの「豪腕」なら...、もう、どうにでもなれ。
広く知られている話だが、小沢一郎田中角栄の流れを汲む人だね。今の永田町で、旧田中派の流れを汲む政治家として残っているのは、他には二階俊博くらいか? 鈴木宗男も復活しているけど、まだまだだし。野中は辞めたし橋本龍太郎もダメだし。
田中派金権政治の元締めだったけど、一面では弱者の味方ではあった。今の小泉が強者の味方であるのと対照的だ。それが一連の小泉改革と不可解なスキャンダルで次々と潰れ、今は小泉の天下。最近読んだ国家の罠国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれての記述を拝借すると、

内政におけるケインズ型公平分配路線からハイエク型傾斜分配路線への転換、外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換

が、多くの国民の知らぬ間に、多くの国民の支持によってなされた、と。
ちょっと話は脱線するけど、この国家の罠は大変面白くて、この本についてはまた別に所感を書いてみたいと思っているが、ここでは上記の「転換」についてもう少し引用してみる。

ハイエク新自由主義モデルでは、強いものが日本人である必然性はない。規制緩和は外国人に対しても完全に開かれている必要がある。そしてこの新自由主義モデルを徹底すると国家も民族も必要なくなる。

この「転換」を意図した者は何処の者か、この本の中に結論が示されているわけではないが、小泉の政敵を潰していった不可解なスキャンダルは、かつての田中ロッキード事件の構図に似ていなくもない。
想像を逞しくしてみよう。不可解なスキャンダルのひとつに「菅直人年金未納問題」があった。あの時民主党の代表を辞任せざるをえなくなった菅直人に代わって、期待されていたのが小沢一郎だった。ところが小沢はあの時、本人が望めば代表就任の絶好の機会だったのに、なぜか、いわばドタキャンという形で代表から辞退した。田中角栄の傍にいて「ロッキード事件」の真相をおそらくは知りえたであろう小沢なら、ひょっとしたらあのときの「未納事件」での敵の真意も見抜いていたのかもしれない。あそこでもし、代表に就任していたなら、次のターゲットは自分だ、と思ったのかもしれない。であるがゆえの代表就任固辞であったのかもしれない。
もしそうであるならば、今回の一連のメール騒動の真相も小沢には察しがついているだろう。その上で今度ばかりは代表に就任した真意はどこにあるのか? 本人が語ったとおり「自分が変わった」からか? それとも今回は勝算ありと計算したからか?
ま、なんにせよ、愚かな樵のタワゴトである。
  
ではもうひとつ、面白いほうを。

ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読

米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。

 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。

 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。

 13枚のパピルス古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。

 同文書は3〜4世紀に書かれた写本で、1970年代にエジプトで発見され、現在はスイスの古美術財団で管理されている。同協会が資金援助し、カッセル元教授らが5年間かけて修復、内容を分析した。

 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。

 詳細は、28日発売の「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載される。

これはまったく面白い(ヘンな日本語)。聖書の中の聖書、4つの福音書を否定する説だ。ユダの裏切りが事実ではなくイエス自らが意図したものならば、キリスト教の「救いの構図」が少なからぬ修正を迫られることになる。
興味があるのは、信者たちの反応だ。ちょっと意地悪い興味だと自分でも思うのだが、気になるのは信者たちが
「ユダは裏切り者のままでいて欲しい」と思うか、それとも
「ユダが裏切り者でなくて良かった」と思うか?
部外者の私などは、「裏切り者でなくてよかった」と思うのだが。