「愛国心」は必要ない その1

このように書くと誤解を招くだろうと思いつつも、当エントリーの表題を敢えてこのようにした。いろいろと考えていることを書いてみるが、果てして私の筆力で表題の通りの結論にたどり着けるかどうか?
 

国旗国歌はあっても悪くはない

国旗及び国歌に関する法律」が成立してというのは、もう随分と前の話になる。Wikipediaで調べてみると「1999年8月9日午後の参議院本会議で、自民、自由、公明三党及び民主党のうち20名による賛成多数で可決、成立した」となっている。ということは成立して既に7年になるわけか。
いろいろ問題のある法律だと思う。上記Wikipediaにもさまざまな論点が示されている。その詳細には触れない、というかそんなことはよくわからなかったりするのだが、私がこの法律について一番問題だと思うのは、これが「法律として規定されてしまった」というところにある。
私は「日の丸」が好きである。「君が代」についてはどうかと思うが、それでもさまざまイベントの折に有名歌手が自信たっぷりというか誇らしげに「君が代」を歌唱するのを見るとき、それにあわせて会場の人々が唱和するのを見るとき、「君が代」も悪くはないな、と感じてしまう。基本的に国旗、国歌はあって悪くないと思っている。
だから、最近の事例でいうと、「NHK・荒川静香選手のウイニング・ランを放映せず」には、憤りを感じる。素朴に日の丸を掲げて滑る荒川選手の姿を見たかったと思う。
NHKはなぜ「日の丸・荒川選手」を放映しなかったのか。それはNHKが左傾化しているからだという批判があって、その通りなんだろうと思うが、私にとっては左傾化しているかどうかなんてどうでもいい。放映しないという判断を下したのはNHKの一部の人間だろうが、彼もしくは彼らが、なぜそのような判断を下す資格が自分たちにあると考えたか。その傲慢さに憤りを感じる。
想像するに、彼らが判断を下す際に自分たちにその資格があるかどうかなどと、立ち止まって考えたりはしなかったであろう。彼らは「己の信条に反する」が直ちに「放映しない」の判断に結びついたのであろう。誰もが陥るところであるが、そこが最大の問題であると思う。
ついでに「荒川選手が日の丸を纏う」という判断を下す資格があったか、という問いについて意見を書いてみたい。私は彼女にはその資格があると思う。それは彼女に限らず、オリンピックのような舞台に登場することの出来た人の特権であると考えても良い。だが「日の丸を纏うべきだ」とは思わない。彼女が「日の丸を纏わない」という判断を下したとしても、それは尊重すべきだ。その判断を下す資格は彼女にある。

国旗国歌を制定する「資格」はだれにあるのか

国旗国家法のほうへ話を戻す。国旗・国歌についてはそれを法律で規定してしまうのが問題だと書いた。この意見の根っこには「だれにそれを規定する資格があるのか」という疑問がある。
こう考えてみる。「国歌国旗を日の丸・君が代に規定した」ということは「国歌国旗を日の丸・君が代以外のもの」に規定することも出来る、ということだ。「規定した、できた」ということは誰かにその資格があったということであり、その資格を持ってすれば「日の丸・君が代以外のもの」も規定することができる。が、だれにそんな資格があるのだろう?
「国歌国旗法」が問題になったのは「日の丸・君が代」を規定するかどうかについてであって、それ以外のものが国旗国歌になることはありえないから、上の問いは不毛である、という答えもあるかもしれない。だがこれは思考停止の言い訳でしかない。

以下、続く。