『国家の品格』

国家の品格 (新潮新書)
1月25日付のよみうり寸評でこの本が紹介されている。〈惻隠(そくいん)〉という言葉を取り上げ、この言葉に表される日本人の情緒、特に弱者に配慮する心情が、市場主義原理の非情さに席巻されてしまったと指摘し、日本人がこれほどアメリカ式の市場主義に毒されてしまったのは、祖国に対する誇り、国柄を失ってしまったからだとする。今、国民も国家も品格が問われているとして、この本を読んでみることを薦めている。

数学者の書いた国家論として、この手の本としては異例のべストセラーであるということは知っていたし、以前から気にはなっていた。そのうち図書館で借りて読んでみよう、くらいに思っていたのだが、本屋で見かけたので思わず購入してしまった。以下、読んでみての感想を。

読了後、正直なところ、買うんじゃなかった、図書館で済ましておけばよかった、と思った。少なくとも手元において読み返したり、人に薦められる本ではない。この本は国家論と紹介されているが、そうではなく精神論で、それも今や時代に合わなくなってしまった「武士道」を手放しで賞賛する内容。時代錯誤だと感じた。

何も私は武士道の精神が時代遅れで全く省みる価値のないものだと考えているわけではない。人間の本質は時代を経たからとて、そう変わるものでもないだろうから、一時代を築いた“精神”には少なからぬ普遍性があると思う。武士道だってそうだ。
だが、やはり人間、なかんずく社会は時代性を無視しては語れない。武士道を賞賛することは悪くはないが、手放しで賞賛するのはいただけない。
“いまの日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり”、と民主主義すら否定してしまうのはどうか。とにかく著者には「武士道」を時代に合わせて読み替える、ということは念頭にないらしい。この姿勢は、どことなく右傾化していく日本の空気の中では、危険である。いや、そういう空気がこの本を世に送り出したのか。ベストセラーになっているというのは、その証左なのか。

「第1章 近代的合理精神の限界」や「第2章「論理」だけでは世界が破綻する」で語られる内容は、的を得ていると思う。現代社会の荒廃の原因にいわゆるグローバリズムがあるというのはよく言われること。また「論理を徹底すれば問題が解決できる」とするのは誤りである、との説明もわかりやすい。

 だが、「第3章 自由、平等、民主主義を疑う」あたりから、なんだか怪しくなってくる。「自由・平等の概念はフィクションである」と著者は糾弾するが、これは糾弾すべきことか? 健全な民主主義の精神は、それらがフィクションだということを前提にしたもののはずだ。フィクションであることを弁えた上で、それを実現させようとする営為、精神――それが民主主義の精神ではないのか。
著者は民主主義、自由、平等を論理的ではあるが、出発点が誤っているとする。が、この意見には私は異議アリだ。

私が思うに、この著者はエリート主義者なのだろう。そもそも武士道はかつての日本の国のエリートたちの精神である。著者は「真のエリート」が必要だと説く。この点には同意できる。実際問題として、社会を統治していくにはエリートは必要とされるからだ。
だが、歴史を紐解いてみるとわかることだが、歴史とは「真のエリート不在」のページばかりである。たまには真のエリートが活躍する場面もあるが、大半は偽のエリートが跋扈するシーンである。そして、そこに自由・平等・民主主義の出発点がある。

このようなことは古代ギリシアの時代から議論され、真のエリートにとっては常識になっているはずなのだが。

第4章以降、日本人は、日本の国は素晴らしい、という記述がこれでもかと出てくる。特に親日家の外国人の言葉として。注意すべきは、これらは皆、市場原理に冒される前の、古きよき日本への礼賛であるということだ。

どうも、この“かつてのよき日本への礼賛”に私はひっかかってしかたがない。
小泉首相靖国神社参拝問題、皇室典範改正問題、自民党憲法改正草案など、最近の復古主義的な風潮と、オーバーラップする。
かつての良き日本への復古の動きと、この本の中に底流するエリート主義が連動したら...。
現在の日本の雰囲気は、ナチス台頭直前のドイツに似通っているという指摘をしばしば目にするが、「第三帝国」建設を目指したナチスのような勢力がまた再び...、というのは考えすぎか。
こんなことを考えてしまうのも、もしこの本が例えばバブル絶頂期に出版されたのなら、これほどベストセラーになっただろうか? と思うからだ。バブルが弾けて世の中おかしくなってきて、これまで信奉されてきたグローバリズムに疑問を持つのはよい。だが、それに代わって武士道とは...、あまりに安直ではないか。
けれど、今も昔も、このような安直さって変わっていないように思えて仕方がない。

この本、著者の主張の個々の部分についてみると、共感できる部分は少なくない。冒頭で挙げた〈惻隠〉の情もそうだ。だが、個々のピースは好ましいものでも、組みあがった全体像はバランスを欠いている。そういう印象を私は受けた。