炭窯跡

今日、仕事で山の中を歩いていたら、炭窯を見つけた。
 
紀州の山は、かつては炭焼きが盛んであった。ここらあたりのことは宇江敏勝氏の本に詳しい。
炭焼日記―吉野熊野の山から (宇江敏勝の本)
山の方々に多くの炭焼き人がいて、炊事等に使われる炭を生産していた。燃料革命以降炭の需要はなくなり、炭焼きも廃れていったわけであるが、その痕跡、炭窯跡は、仕事で山を歩いていると、しばしば出くわす。
山といっても私の仕事場はスギ・ヒノキの植林地だから、出くわすのもスギ・ヒノキの林の中である。炭窯があったということは、その場所は当時は雑木林であったことを示しているのだが、炭焼きが廃れた後、雑木を切る伐り払ってスギ・ヒノキを植えたのであろう。今や紀州の山は、そのような像隣地ばかりである。
 
紀州の山で働くようになってから約4年、幾つ炭窯跡に出くわしただろうか。どれもこれも朽ちてしまって窯の天井が抜け、大きな穴のようになってしまったものばかりだった。それはそうだろう。雨の多い紀州の山で何十年も放置されていたのだから。
だが、今日出くわしたのは違った。「炭窯跡」ではなくまだまだ立派な「炭窯」だったのだ。一緒にいた、もう70になるオジサンも「これは珍しい。今でもちゃんと残っているのはまずない」と言っていた。
その場所もスギの植林地で、木の大きさから見るにまず植林してから30年は経過している。ということは30年以上も雨風に耐えてきたわけだ。よほどしっかり作りこまれていたのか。

入り口の大きさは大人が腰をかがめってやっとは入れるほどの大きさ。中は四畳半くらいの広さであったろうか。天井はかなり高く、手を伸ばしても届かなかった。石を積み重ねた上に赤土を塗りつけてあった。赤土は乾燥していたが、そういえば高温で焼けたような感じはなかった。
ひょっとしたらこの窯は、完成させたものの何らかの理由で使用されることなく放置されたのかもしれない。高温にさらされると脆くなってしまうが、それがなかったので今まで形を保っていたか。そういえば床に墨が転がっていたような様子もなかった。

残念だったのは、今日はデジカメを持ち合わせていなかったこと。これはぜひ記録に残しておきたい。撮影に行かなければ。

ところで、オジサンによれば、この窯は黒炭用のものであろうとのこと。黒炭とは普通の黒いこと。有名な紀州備長炭は白炭になる。